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『明治という国家』ー司馬遼太郎
●新島襄(にいじまじょう)ー①


同志社大学は新島襄のキリスト教精神でできた学校で、古くから神学部もあります。新島は文久三年、20歳のときキリスト教につよい関心を持った。彼は上州安中藩板倉家の江戸屋敷に生まれ、武士でありました。

こっそり函館まで行き、そこからアメリカ船ベルリン号に乗りました。この密出国の動機についてを、新島は後年、振り返って、「この挙は、藩主や両親を捨てるということではない。自分一個の飲食栄華のためでもない。まったく国家のためである。自分の小さな力を少しでもこの振るわざる国家と万民のために尽くそうと覚悟したのである。」

と、誠に明治人らしい。文久三年の新島襄という無名の青年の精神は、のちの明治国家の精神でもあった。
新島はアメリカに10年いました。基礎教科の学校を出てから、アーマスト大学に入り、ここを出てさらに神学校に入りました。

その間、日本では急速に歴史が進みました。幕末の騒乱が終わり、明治国家がはじまったのです。明治7年( 1874年)、彼は、ヴァーモント州ラットランド市の伝道教会の年会で、演説者として指名された。

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