『貧賤の交わりは忘るべからず、糟糠の妻は堂より下さず』
●范瞱 『後漢書』より

後漢時代(25~220)の資料をもとに編纂された歴史書である。『後漢書』の中の一節。これは後漢の光武帝の時代、司法長官であった宋弘の次のような逸話からのものである。未亡人であった帝の姉の湖陽公主は、ひそかに宋弘を想っていた。その気持ちを察した帝は次のような言葉で宋弘の意中をたずねたのである。

「身分が高くなったら友人を変え、金ができたら妻を変えるということわざがあるがどう思うかな?」

すると、宋弘は「私は、”貧賤の交わりは忘るべからず、糟糠の妻は堂より下さず”ということを聞いていますが、それが本当だと思います。」と答えたという。

糟は”かす”糠は”ぬか”つまりそんな粗末な食事をして貧しい生活をともに苦労した妻は家から追い出してはならないというのである。

なお宋弘はこの言葉を伝え聞いたように記されているが、その更にもとは不明である。また、これより一時代前、前漢の学者載徳の編集による『大載礼』には、「七去三不去」として妻を離婚できる七条件、離婚できない三条件が書かれている。

この三条件とは、まず出戻る家がない場合、第二が父母の喪に服している時。そして第三は、この言葉と同じく、初めは貧乏で後に富貴になった場合というのである。
ちなみに離婚できる七条件とは次のとおり。父母に不従順、産まず女、淫奔
嫉妬深い女、悪疾、多言、盗癖。


投稿写真