『弥縫録』-陳舜臣
●折角と折檻-②

朱曇は妥協を知らない硬骨漢で、そのために元帝のとき投獄され、危うく死刑になるところを、「城旦」(築城の重労働)に減刑された。つぎの成帝のとき、張禹(ちょうう)という者が、皇太子時代の皇帝の師匠であったので丞相に起用された。前漢もすでに末期で、外戚や宦官の専横がはなはだしく、彼らを抑えるために、有能な丞相を必要とした。ところが、張禹はただ良い子になろうとするばかりで、まったく無能であった。

朱曇はこれに憤慨し、上書して謁見を乞い、成帝のまえで、
ーーー佞臣(ねいしん)の張禹斬るべし!
と言ったので、成帝、大いに怒り、
ーーー下っ端のくせに不届きな。死刑だ!
役人は彼を引き立てようとしたが、朱曇は檻(てすり)にしがみついて、なおも諫言をつづけた。なにしろ怪力無双の巨漢のことで、手すりは折れてしまった。これが「折檻」なのだ。皇帝に取りなす者がいて、この時も朱曇は殺されずにすんだ。

成帝は折れた手すりを修復せずに、諫言を歓迎することを表したという。その後、中国の歴代王朝は、宮殿造営のさい、わざと手すりの一部を欠くのがしきたりとなった。こんな風に下が上を強く諌めるのが「折檻」だが、日本では上から下へのシゴキの意味に用いられるのが普通のようだ。


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