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『私を生かした一言』-草柳大蔵 評論家

●慎独(ひとりをつつしむ)ー①
ーーーひとりの時の過ごし方で、人間の「格」が決まる

「あなたの座右の銘は?」と問われて、あれかこれかと言葉を探さなくても済むようになってから、二十年を経過している。私の、小さな書斎の南側の欄間に扁額が懸かっている。「慎独」の二字が、書斎にいる私を睨み付けている。紫野南嶺という署名は大徳寺龍光院の小堀南嶺和尚のものだ。典雅な書体なのに威厳がある。

「慎独」は、南宋朱子学が説く修養上の第一義で、礼記の「君子ハ独リヲ慎シム」から出ている。中庸にも記載されているが、原典は礼記である。
ーーー人間は、生きるのも、死ぬのも、所詮はひとりぼっちなんだよ。ひとりでいる時の自分をどう作るか、それが肝心なんだ。人とつきあい、仕事をし、飯を食い、酒を飲み、歌をうたい、旅に出かける、その総計が人生なのだが、以上は心経の説く「色」であって、その「色」(現象)の中に「独」のときの自分が全部出てしまうのだよ。

「慎独」は、平たくいえは、こういうことであろう。わかりきったことでもある。しかし、実際の生活では「独」の時間を大切にしていないことの方が多い。仕事が終わって、「独」の時空に入ると、ぼんやりと秋の空を眺めていたり、テレビをなんとなく見ていたり、雑誌の記事を拾い読みしていたりする。そんな無為な時間を過ごして書斎に入ると、いやでも応でも、扁額の「慎独」と目があってしまう。「なにをしていた!」と、雷声一発、直撃を受けて慌てざるをえない。

池田高校野球部の蔦監督の講演をテープで聞いたことがある。野球部に新入生が入ってくると、春のグランドに一列に並べて、'' 草引き '' をさせるという。生徒たちは監督の眼を意識しながら萌え始めた小さな草を、プッリプッリと抜きつつ前へ進んでゆく。その作業を背後から見ていると、生徒の背中に、その子が家庭でどのように育てられたか。躾の厳しい家か緩やかな家か、すべて読み取ることができると、蔦監督は話している。教育者としての深い経験が「慎独」の境地をとらえていると言えないか。

#慎独 #蔦監督 #草柳大蔵