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『奮発震動の象あり』松野浩二

松野浩二は山口大学・工学部のOBで、日立金属の社長・会長を務められた方で、現在は山口大学の特別顧問をしている。本の内容は『長州五傑』のことも含めて、『松下村塾』の教育についていろいと書いてある。

明治維新の起爆剤となった長州藩ではあるが、『松下村塾』ぬきには語れないのは周知のことである。この中で特に着目したいのは『玉木文之進』である。
杉百合之助の次男として生まれた松陰は幼名を大次郎といい、毛利藩の軍学師範の叔父大助が早くに亡くなったので、養子として、その吉田家の跡を継いで、 吉田家当主となった。

5歳の大次郎は山鹿流の師範となるために、『玉木文之進』と『林真人』のすさまじいまでの教育を受けた。
特に『玉木文之進』の教育は『侍とは何か』ということを体に染み込むまでに徹底的に教えた。後に『よく死ななかった。』と松陰自身が述懐していたそうである。

『玉木文之進』は維新後『松下村塾』で教育をつづけ『乃木希典』を住み込みで鍛えたという。『乃木希典』については203高地、水師営の会見等で有名である。ロシヤの敵将ステッセルが『乃木希典』の勝者として驕ることのない態度と謙虚さ、サムライとしての美しさに感嘆したというのは有名な話である。

立ち居振る舞い・敗戦の将に対する心遣い等々、くわしくは司馬遼太郎の『坂の上の雲』をご覧下さい。『乃木希典』は明治天皇の崩御に伴い妻・静子とともに殉死した。享年64歳。今回は、『玉木文之進』の明治維新に果たした役割は大きいという事をお伝えしました。

『親思ふこころにまさる親ごころ今日の音づれ何と聞くらん。』松陰辞世の句。

#乃木希典 #玉木文之進 #吉田松陰