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”縁を尊び、果報を生む-①”安岡正篤
  
 「ご縁」といえば、古い言葉のようですが、やはり、人間には「縁」というものがあります。これは一番大事なもので、法華経の中に「十如是」という説があります。

葬式の時に、坊さんの読経を聞いていますと、必ずこの法華経の「十如是」という言葉が、唱えられます。耳を澄ましておりますと、お坊さんが「如是相、如是性、如是体、云々」と読まれます。如是が十ありますので「十如是」といいます。

これは必ずといっていいぐらい各宗派を通じて用いるものです。
その「十如是」の中に、「如是縁」という言葉もあります。そして、この「縁」というものは、非常に大事なもので、何事も縁より起こるので、それで「縁起」という言葉があるわけです。また、「因果」という言葉がありますが、縁がなければいかなることも因にならない。「因・縁・果・報」と言いまして、因があって、それが縁によって物事が起こり、その因縁から果という結果--果実ですね--が生じ、そこで初めて果の反応、つまり報が生じるわけです。

「因・縁・果・報」、日本人はいつからともなく、この専門用語を自然に日常用語に使っています。「因縁」とか「因果」とか「縁起」とか、今では民衆用語になっています。この「因・縁・果・報」はすべて、先に申しました法華経の十如是の中にある言葉です。


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