”『走る意味』-④”-金 哲彦
”瀬古選手の筋肉の秘密”
瀬古さんに憧れて早稲田に入ったのですが、瀬古さんに初めて会ったのは大学に入学してからでした。入学して数日たったころにヱスビー食品の選手たちが練習に来ていました。当時のヱスビー食品には瀬古さんはじめ、日本のトップクラスの選手ばかりの超エリートチームでした。同じ内容の練習はできませんでしたが、学生の私たちはあこがれの眼差しでその練習を見ていました。一流の選手たちの練習を目の前で見ることで、学生に刺激や良い影響もあります。それが中村監督の考え方だったと思います。
そのときは尊敬をこめて練習を眺めていただけでした。もちろん直接会話をしたこともありません。『こんにちは』、『失礼します』というお決まりの挨拶程度だけです。瀬古さんと会話を交わしたのは一年生の夏合宿のときでした。有望な一年生数人が選抜され、群馬県の後閑(ごかん)という温泉宿に合宿練習に連れて行ってもらいました。
ヱスビー食品の選手と早稲田の学生十数人の小規模な合宿でした。私は一年生で一番の下っ端なので、練習の合間には先輩のマッサージをするという仕事がありました。あるとき、先輩に呼ばれて、『瀬古さんの部屋に行ってマツサージをするように』と言われました。ものすごく緊張しました。神様のような人の部屋に行きマッサージをするのです。部屋に入るなり瀬古さんから、『お前、名前なんだっけ?』『福岡から来ました、一年生の木下と申します』緊張でガチガチです。『ああ、お前が木下か』と、当時の私の名前を呼んでくれました。そして、『お前、頑張っているらしいな』と、ほめてくれました。嬉しくて、飛び上がりそうになりました。
先輩へのマッサージは、合宿所で毎晩のように訓練されていました。『ちから加減は、脚はこんなふうでよろしいでしょうか?』ぐらいの会話しかできませんでした。そのとき、聞きたいことは山ほどありましたが、私からとても質問なんてできる雰囲気ではありませんでした。
それにしても、マッサージしたときの瀬古さんの脚の感触は忘れられません。瀬古さんの筋肉はものすごい弾力性がありました。足の裏は厚みがあって、土踏まずもしっかりしていて、ものすごく頑丈そうで、けれども柔らかい。足の裏マメなどなく柔らかくて感動しました。これが、世界の足なんだなと素直に思いました。それに比べて、自分の筋肉はなんて固くてたよりないのだろう、と思いました。持って生まれた天性の素質というものがあるなら、それを感じたのは、あの時でした。
