”行動学入門-⑭ 三島由紀夫!!”



”行動の美-⑥”




オーストラリアで特殊潜航艇が敵艦に衝突寸前に浮上し、敵の一斉射撃を浴びようとしたときに、月の明るい夜のことだったが、ハッチの扉をあけて日本の将校がそこからあらわれ、日本刀を振りかざしたまま身に数弾を浴びて戦死したという話が語り伝えられているが、このような場合にその行動の美しさ、月の光、ロマンティックな情景、悲壮感、それと行動様式自体の内面的な美しさとが完全に一致する。しかし、このような一致した美は人の一生に一度であることはおろか、歴史の上にもそう何度とはなくあらわれるものではない。


東映映画の殴り込みに拍手喝采をする青年たちは、そのような美を求めて拍手しているのであるが、やくざの殴り込みといえども一生一度しかないものが、映画では毎晩毎晩繰り返され、悪役のむごときは二本立ての映画の両方で、わずか一、二時間の間に二度も死ななければならない。


芸能の本質は「決定的なことが繰り返され得る」というところにある。だからそれはウソなのである。先代幸四郎の一世一代の『勧進帳』といえども少なくともその月の25回は繰り返された。『葉隠』の著者が芸能を蔑(さげす)んだのは多分このためであり、武士があらゆる芸能を蔑みながら、能楽だけをみとめたのは、能楽ん゛一回の公演を原則として、そこへこめられる精力が、それだけ実際の行動に近い一回性に基づいているもというところにあろう。二度とくりかえされぬところにしか行動の美がないならば、それは花火と同じである。しかし、このはかない人生に、そもそも花火以上に永遠の瞬間を、誰が持つことができようか。






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