”中国について考える-③”
中国から輸入された思想の一つに”尊皇思想”もある。江戸時代の末期、”徳川幕府”打倒に走った志士たちは、儒教思想(朱子学)の色濃い”水戸学”に影響を受けた。”皇帝”というものは中国に在り、”皇帝”を名乗るのは唯一中国を治める者である、という定義が中国では一般的である。「中華思想」の原点に返れば、日本の”天皇”が”天皇”を名乗るのは片腹痛いのかもしれない。朝鮮では、日本の”天皇”のことを”日本王”と書いている。現在の日本での認識は”天皇”・”Emperor”であるが、これがふさわしい呼び名かどうか、中華の”皇帝”であるのか私にはわからない。
ただ、戊辰戦争で明治維新をなし遂げた”薩長土”では、”天皇”の下、”徳川家”も自分たちと同列の大名であるという”考え方”で倒幕運動をしたのである。”関ヶ原”以来、冷や飯を食わされた西方の藩では、特にこの傾向が強かった。歴史の必然ではあるが、同時期に”欧米”の外圧も”追い風”となった。
中国では、明治維新の成功を目の当たりにして、日本に学べということで、たくさんの留学生が日本にやって来た。後に”辛亥革命”を起こして”中華民国”を設立した”孫文”やその後”国民政府”を率いて”日本軍”と戦った”蒋介石”も日本で学んだ。彼らは、まだ日本に対して”シンパシィー”を抱いていたと言える。だが、共産党軍を率いていた”毛沢東”は、社会主義を標榜していたが、あまり”マルクス・レーニン主義”の勉強は進んでいなかったみたいである。
”毛沢東”は日本軍の中国進出に対して、中国国土の半分くらいは日本にやってもいい、と言っていたらしい。”毛沢東”は、社会主義者ではなく、社会主義を自分の権力達成のための”道具”として利用した。”毛沢東”は”中華人民共和国”を樹立すると、またその過程でも、自分のライバルを蹴落とすことにのみ、精力を傾けた。”毛沢東”は革命が成功してからは、女道楽に狂い、手当たり次第に愛人にした。ほとんど昼・夜が逆転した生活をして、読書か女かの自堕落な生活を送った。中学卒程度の彼の学力では”社会主義理論”は難しすぎたのかもしれない。彼はマルクスの著書を一冊も読破していないのでなかろうか?彼の容認した、かの悪名高い”文化大革命”を見れば、一目瞭然である。彼のために失脚した指導者は数多い。”文化大革命”がなければ、中国の発展は何十年も早かったのではなかろうか?インテリからブルジョワ、指導者に至るまで、”紅衛兵”の指弾を受けない者はなかった。ある者は、リンチで死亡したり、不具者になった。また、ある者は、田舎に送られて強制労働をさせられた。
この中で、3度も失脚させられた”鄧小平”が復活してから、中国に光明が見えてきた。「黒いネコも白いネコも鼠を捕るのはいいネコだ。」ということで、社会主義でありながら資本主義を導入した。このネコの話は、”鄧小平”のオリジナルではなくて、彼の出身地”四川省”では、古くから言い伝えられた言葉であるらしい。
かくして、変形ではありながら、金儲けの好きな国民性に合致した”国策”が取られることになった。経済特区を設けて、経済は別物の”資本主義”を目指した。当時、日本にやって来た”鄧小平”は新幹線に乗ってさぞかし驚いたことであろう。また、近代的な工場を見学して、中国も遅ればせながら、日本に追いつきたいと思ったことであろう。
