”思想の花びら②-亀井勝一郎”

 『幸福について』

 大きい幸福というものはないのだ。あらゆる幸福とは、日常的な、ささいなものにすぎない。空想してはならない。不平家とは幸福についての空想家であって、自分と他人とを比べてはいつも嫉妬心に悩まされている。

幸福の苦悩というものがある。人間は「物」とか「名声」とか「金銭」によって左右されやすい。金のないとき、わずかの金でも手にすれば、幸福感を味わいうるのは事実だ。しかし、それをすぐ否定する心が動く。幸福とは、より深い苦悩とともにあらねばならぬはずのものだという考えが起こってくる。より深い苦悩とは何か。日本人の精神史に即して言えば、それは無常ということである。すべての現世的幸福は無常によって脅かされ、無常のうちに苦悩を背負わなければならない。

同時に人間はまた大変浅はかなものである。自分の虚栄心が少しでも満たされたとき、幸福だと思うのは避けがたいことだ。そんな幸福はつまらぬと自分で否定しながら、しかし、まんざらでもないのである。

幸福の深渕をのぞくのは愛の時だ。愛し合うときの幸福感は、そのはるか奥に必ず絶望を宿している。なぜならいかなる愛も永遠ではないからだ。いつかは冷却するであろう愛の無常の予感のうちに、愛し合う二人は戦慄している。抱擁とはこの戦慄からくる無意識の激しい行為である。

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