”徳川将軍家15代カルテ-①”


 ”徳川15人の将軍”にとって、もっとも大事なつとめは政務でも軍務儀式でもなく、ひたすら子作りに励むことだった。将軍たちのもうけた子供の数と寿命の長さはかれらの健康のバロメーターであった。将軍の中でいちばん長生きをしたのは15代慶喜の77歳。つぎは家康の75歳。11代家斉は69歳、その息子家慶は61歳である。これら4人の長寿者は側室も多く、家康は19人の側室に19人の子女をもうけ、家斉は16人の側室を抱え57人のこどもをつくった。家慶も父に負けじと7人の側室に29人の子女をみごもらせた。慶喜は側室の数ははっきりしないが24人のこどもを受胎させている。このように長生きした将軍は身体壮健でお妾さんも多く、将軍家のもつとも大切な役割をまっとうしている。


短命の将軍たちは大奥へ足を運ぶのもまれで子女の数も少なかった。つまり長命の将軍ほど色欲が盛んで子沢山である。人生、長生きするには色の道に励むのがよいという自然の声が聞こえてくるようである。


将軍が亡くなると遺体は火葬せずにそのまま墓所へ埋葬した。増上寺の裏手には徳川家の霊廟があり、その墓所に6人の将軍と10人の正室・側室の遺体が納められている。昭和33年から1年半かけて増上寺の改修工事が行われたが、この際、将軍家の墓も発掘されて人類学者によって学術調査が行われた。遺体は筋肉や内臓がほとんど消失していたが、頭蓋骨・四肢・体幹の骨と毛髪などはのこっていた。調査団はこれらの全身骨格をもとに将軍と夫人達の顔かたちの復元や身体計測などを行った。