”遙かなるケンブリッジ-⑥”


 世界中のどの国にも、多かれ少なかれレイシズム(人種的偏見)は存在する。日本においても被差別部落はあるし、アメリカにもイギリスにもある。どんな人間がどんな外国にいようと、必ず遭遇している。顔や姿が自分と異なれば差別されるし、風俗習慣とか価値観、時には言葉のアクセントが違うだけでも差別の対象となる。異質なものを差別するのは、動物としてごく一般的な生理であり心理である。


問題は、それが理性によりどれだけ抑制されるかであろう。この理性は、レイシズムが恥ずべき本能であることを、子どもの頃から徹底して教育することで高められる。この点でアメリカは先進国である。多民族国家のアメリカでは、レイシズムの野放しは国家の瓦解を意味するから、あらゆる機会を捉えてこの教育が施されている。ほとんどのアメリカ人は、むろん、人種的偏見を心の奥に持っているが、それは自分の最も恥ずべき部分であり、絶対に露出してはならないものと思っている。アメリカ人に嫌われる最も簡単な方法は、レイシストと疑われるような言動をとることである。レイシストは、人殺しと嘘つきの中間あたりに位置していると思って良い。他人をレイシストと呼ぶことは最大の侮辱であるし、レイシストの烙印は社会的抹殺にほぼ等しい。