”遙かなるケンブリッジ-③”
イギリスを考える上で欠かせないものは、ジェントルマンの影響である。ほぼ14世紀から19世紀の間に、最上層の貴族と中間層のヨーマン(独立自営農)の間に、ジェントリーと呼ばれる、準貴族とも言うべき社会集団があった。このジェントリーはさらに四分され、上からバロネット、ナイト、エスクワイザー、ジェントルマンとなっていた。最後のものは、普通用いられるジェントルマンと区別するため、「単なるジェントルマン」と呼ばれることもある。上位二つに所属する者の名にはサーの尊称が付され、下位二つにはミスターが付されている。
この社会集団ジェントリーが、後にジェントルマンを形成することになる。19世紀の初頭には、全人口の3%にしかならないジェントリーが国土の約半分を所有し、全部で300家族にしかすぎない貴族が国土の4分の1を所有していた。貴族であれば最低でも一人1200万坪、ジェントリーでも一人120万坪という膨大な土地を所有していた。また、貴族・ジェントリーは、宮廷や内閣、議会といった中央の政治機構を独占していたが、地方においても民衆の保護者として敬われ、地方政治を牛耳った。
ただ、この貴族社会は、カーストのような閉鎖的な制度とは違い、開かれたものであった。長子相続制の下で、貴族・ジェントリーの次男・三男は、一定の分与金を長男から受け取り、実業界や官界、陸海軍に転出せざるを得なかった。また、長男であってもたまたま甚六であったがために、大土地を維持できずに、支配階級から脱落していく者もあった。一方、成功したヨーマンとか商人などは、進んで手放された土地を買い、田舎に引っ込み、新たにジェントリーに加わった。ジェントリーに属する男性は、一括してジェントルマンと呼ばれた。ジェントルマンに昇格するには、大土地所有と共に品性や教養なども条件として求められたから、都市の富裕な商人などは、競ってその子弟をパブリック・スクールやオックスブリッジ(オックスフォードとケンブリッジを合わせた造語)へ行かせようとした。


