”破天荒-弥縫録より”


 「科挙」といって、官吏を試験で採用するのは、中国人の発明であった。隋の時代から始まったというから、6、7世紀のことである。暗記上手に有利な試験で、創造的な才能をそれで発見できるかどうか、疑わしい。現在の日本でも、東京大学を頂点とする、大学の入試試験の是非が問われている。彼らは「正解のある問題を解くことはで゜きるが、正解のない問題を解くことはできない。」社会に出たら、正解のわからない問題ばかりに直面することになるので、かならずしも、彼らが優秀ということは言えないと思う。


科挙の制度ができてから千数百年のあいだ、試験狂の世界となってしまった。中国では省別に合格者の数を競い合った。科挙で一番むつかしい”会試”は3年に一度行われており、清代260数年のあいだに、112回おこなわれた。首席合格者「状元」は112人生まれたが、江蘇省49名、浙江省20名でこの両省で過半数を占める。


「江南の才子」の俊才ぶりを遺憾なく発揮している。鄧小兵、陳毅、郭沫若など、今世紀も偉材を輩出した。唐代の荊州(湖南から湖北にかけて)では子弟教育に熱心で、文化人も多かった。それなのにどうしても進士合格者が出なかった。試験の結果が発表されるたびに、出るのは大きなため息ばかりであった。「今年もまただめだったか・・・・・・・・」---人々は悲観して、自分たちの土地を「天荒」と称した。これは天地混沌とした未開の意味であり、同時に不作も意味した。人材の不作を自嘲した命名なのだ。


100年も200年も荊州から進士が出ない。この地は依然として「天荒」だった。ところが長沙ジの劉蛻(りゅうぜい)という者が、はじめて合格した。土地の人々は抱き合い、涙を流して歓喜した。「天荒」をついに破ったのである。”破天荒”という言葉は、この劉蛻(りゅうぜい)に由来する。もともと試験地獄から生まれた成語である。---田舎の無名高校が、はじめて東大合格者をだしたといったのが、「破天荒」の本当の用法である。