”敵艦見ゆ-②


 5月26日午前2時45分、信濃丸は敵艦を発見した。左舷の闇の中にポッンとうかびあがった燈火を見つけた。バルチック艦隊の病院船アリョールであった。病院船はハーグ条約により中立侵すべからずということになっている。しかし、病院船がいるということは近くに巨大な艦隊がいるということである。信濃丸は長く凝視した。「相手の後方に廻りその左舷にでる」というような動作は実に時間がかかる。この運動が完成したのは午前4時30分ごろである。おぼろげながら敵船の甲板の様子が見えるようになった。たれかが叫んだ。おどろくべきことに信濃丸はバルチック艦隊のまっただ中にいたのである。大小無数の軍艦が煤煙を吐きつつ巨城のごとく海面に横たわっていた。脱出は不可能とみるしかない。「船が浮かんでいるかぎり送信をつづけるのだ」艦長成川揆は言った。「敵艦見ゆ」との電文が四方に飛んだ。海軍ではあらかじめ、この地点のことを203地点としておいた。「敵の艦隊、203地点に見ゆ。時に午前4時45分」----第二報では敵の針路を報せた。「敵針路、東北東、対馬東水道(対馬海峡)に向かうものの如し」信濃丸はその後なお執拗に食い下がり、午前6時5分、ふたたび無電を打った。「敵針路、不動。対馬東水道を指す」これが決定的な報告になった。信濃丸には護衛として三等巡洋艦”和泉”が哨戒していた。不思議なことにロジェストウェンスキーは、これを追っ払えとか、撃沈せよとか言わなかった。たかが哨戒用の小艦艇の相手になることにより陣形の乱れたり、速度の落ちることをおそれたのかもしれない。・・・・・・それで日本軍はバルチック艦隊の動きを正確に知ることができた。「煙突はすべて黄色」と打電した。このことは、海戦のときに敵味方の識別に大いに役立った。