”殿山泰司について”



 殿山泰司は脇役として、たくさんの映画に出ている。父は英国留学もしたほどの人で、小中学校の校長を歴任した。しかし、愛人と息子の泰司と弟を連れて出奔した。継母の「コウ」は人形町で『ぜいろく』という上方風のめし屋を出した。めし屋は当たり、よく儲かった。その後、立ち退きに遭い、銀座4丁目に『お多幸』という、おでん屋を出して、たちまち大繁盛した。継母は店が忙しいのと、狭いので、あまり子供にかまってやれなかった。それで、泰司は小遣いをせびっては、買い食いしたり、遊んでばかりいた。あまり勉強もせず、映画だけはたくさん見た。これが、後年の”映画俳優”志望にいきつく。中学時代は”悪い仲間”にそそのかされ、赤線に入り浸りになり退学問題も発生し学校をやめた。父親の口利きにより別の学校に編入した。あれやこれやがあり、ぐずぐずした青年時代を送った。継母はおでん屋を継ぐように諭したが、店を弟に継がして自分は役者になろうと思った。しかし、なかなか採用してくれるところがない。しばらくの間くすぶっていたが、どこも採用してくれなかった。なんとかして大部屋でも、潜り込みたいと思ったが、どこも採用してくれなかった。泰司は蒲田にアパートを借りた。家を出たい理由は、女と同棲したかったからである。---それやこれやで”新築地劇団”の俳優養成所に入った。ここでの同期に”千秋実”と”多々良純”と”田所千鶴”がいる。いきなり入ったのは左翼劇団であった。映画には昭和14年から出演した。『空想部落』では”沢村貞子”と夫婦役であった。ペエペエのタイちゃんにこんないい役がきたのには訳がある。この役は”藤原釜足”の予定であったが、”沢村貞子”と実生活でも夫婦の”藤原釜足”がいやがりタナボタでタイチャンに落ちた。