”人間の知恵”
若いときに読んだ本で、70代の財界人の偉い人(功成り、名を遂げた)が言っておられたことが頭に残っている。「あっという間に年を取ったという感じです。したいことも、たくさんあるのにやり残したという感じです。この年になっても自分が死ぬということが受け入れられない。」わたしも、つくづくそう思う。同感である。「若いときは、まだまだ先のこととタカを括っているが、いつの間にか年をとり、何かやり残したのではないかと懐疑的になる。」たいした仕事もしないうちに年だけは確実に増える。幸いなことに私たちの世代は、大きな戦争にも巻き込まれずここまで来た。青春の大半を自分の意志とは違う方向に向けざるを得なかった世代の人々には申し訳ないとしか言いようがない。先の大戦のにおいと残骸を身近に感じながら育った私たちの世代は、多少なりとも申し訳なさを感じつつ生活をしている。しかし、今の若い世代の人々は、平和で安全な生活は当たり前のこととして暮らしていると思う。だがねイダヤ・ペンダサンも言っているように、本当は安全と空気と水はタダではないのである。日本人だけがタダと思っているが、世界の常識で言えばコストの掛かるものなのである。日本の若い世代の人々は、世界の各地で起こっている”戦争”・”内戦”・”殺し合い”はテレビのニュースとしてしか見ていない。実感がないのである。だが、安心・安全な毎日の暮らしの中にも、危険は潜んでいる。顔にできたオデキは痛いものである。歯痛も他の人にはわからない痛みである。手を切れば血が出る。足を骨折すれば、たちまち歩くのもおぼつかない。原子力発電所に事故が起きれば、たちまち放射能の汚染にさらされる。飛行機が墜落すれば、ほとんどの搭乗者は死ぬ。北朝鮮からミサイルが飛んでこない保証は何もない。---いくら安全な国に住んでいるといっても明日はわからないのである。----”人間は動物と違う”といっても”人間も動物”なのである。ただ、多少知恵はある。この知恵があるばかりに文明は進み、科学技術は進み、自分たちの力では制御できないレベルまで進んでしまった。核爆弾しかり、原子力発電しかり、人工衛星しかり(宇宙は人工衛星のゴミがいっぱい浮遊している。いつ地上に落ちてくるかわからない。)工場生産しかり、自動車の大量生産しかり、二酸化炭素の大量排出しかり、山林の砂漠化しかり、大気の温度上昇しかり、ここ100年の間に地球環境はすさまじいテンポで破滅に向かっている。地球に棲む他の動植物にとっては、いい迷惑である。”人間”が多少の知恵を持っているばかりに環境破壊を好き勝手にしているのだから。人間という伝達関数に時間を無限大にとればゼロに収束するということは30年以上前に聞いたことがあるが・・・・・・・・。そういうことがわかっていながら、とどまる風もないのが現状である。開発途上国は先進国に負けじと開発に余念がない。汚染を飲み込むキャパシティは海も大気も山林も限界は近い。”人間の知恵”で回避することは、できないのかもしれない。
