MORE THAN MEETS THE EYE / EUROPE
1988年にリリースされた4枚目のアルバム "OUT OF THIS WORLD"
この曲は4枚目のシングルになりました。
KEE MARCELLO がギターで参加し、RON NEVISON をプロデューサー
として迎え制作されましたが、この頃のロン・ネビソンは、ロック界では
引っ張りだこで、次々といろいろなバンドを成功させていました
ハードロック旋風が吹き荒れるアメリカで、最高のタイミングでリリース
されたので、MTVでのプロモーションも強力にやっていました。
"THE FINAL COUNTDOWN" から続くアメリカのプロデューサーを起用
することで、世界のマーケットで幅広く成功したアルバムです
そして
この1988年は彼らにとっても、思い出深い1年になったはずです。
世界中が待望した DEF LEPPARD が、大規模ワールド・ツアーに出て
全米ツアーをしたときに、前座で周っていたからです
その時のライブを観れましたが、それはそれは、DEF LEPPARD の
"HYSTERIA" が社会現象になっていて、僕がアメリカにいた時代で
この時の DEF LEPPARD と BON JOVI の驚異的な旋風は、他には
存在しません。
ハードロックファンの皆さんがご存知のように
RICK ALLEN が交通事故で、ドラマーの彼が左腕を無くしてしまった
ことで、全てのスケジュールに影響しましたが、バンドが片腕の彼の
復活を待った感動のドキュメンタリーを何度も観ました。
その復活と、リリースが遅れた待望のニューアルバム "HYSTERIA"
それはそれは
アメリカ中が気が狂ったように爆発していました
"HYSTERIA" ツアーのことは、長くなるので次にします(汗)
すっかり DEF LEPPARD の話に、変わってしまいました(; ̄□ ̄A
■OPEN YOUR HEART
■LET THE GOOD TIMES ROCK
■MORE THAN MEETS THE EYE
■SIGN OF THE TIMES
■TOMORROW
"SUPERSTITIOUS" がリードシングルになり、MTVでのプロモーションも
成功し、何といっても DEF LEPPARD の前座を掴んだことで、全米での
セールスにも成功しました
明らかにマネージメントが、素晴らしい仕事をした証です。
6枚ものシングルがうまれ、アメリカでの人気も決定的になりました
よく聴いたテキサス時代の思い出の1枚です
MY DREAM IS STILL ALIVE
ROUGH BOY