これまでずっと現代アートというものがいったいなんなのか正直よくわからなかったんですが、この本を読んでようやくおぼろげながら理解することができました。

 

現代アートの良し悪しを決める基準とはいったい何なのか?

よく現代アートは難解だといわれるわけですが、それは現代アートをどのように評価すればいいかよくわからないからです。つまり現代アート作品の良し悪しを決める基準がよくわからないわけですね。

 

この本では現代アートがいったいどういった価値基準で良し悪しを判定しているのかが詳しく解説されていて、とてもわかりやすくまとめられています。

 

では、現代アート作品の良し悪しを決める基準とはいったいなんなのか?なんですが、その前にアート作品が現代アートだと認められるためにはある条件を満たさないといけません。

 

その条件とは「アート史への言及と先行作品の参照」だとこの本に書かれています。つまりまずこの条件を満たさないと現代アートとしては認められず、作品の良し悪しを判定する土俵にものらないということです。

 

この中の「アート史への言及」とはこれまでのアートの歴史の中で自分の作品がいったいどの文脈に位置づけられるのかを説明できなくてはいけないというもので、「先行作品の参照」とは自分の作品がこれまで発表されてきた他の作家のどの作品を参照しているか説明できなくてはいけないというものです。

 

そしてこういった条件を満たしてようやくアート作品は現代アートだと認められて作品の良し悪しを判定する土俵にのることになります。

 

とまあ、ここまでの段階ですでに正直ちょっと頭がクラクラしてきそうなんですが、まだまだここから更に頭がクラクラしてくる話が待っています。

 

私が一番驚いたのは現代アートの良し悪しを決める価値基準に美は関係ないということです。正直えっ?という話で驚きですが本当の話です。著者も現代アートには美はいらないと書いていて、現代アートを現代美術と訳するのは間違いで美術ではなく知術と解釈するべきだと指摘しています。

 

おそらくここが一般の人の認識との最大の齟齬で、一般の人は普通現代アートを見る時に美しいかどうかで作品を見てしまいますから、現代アートの正しい評価ができないということになってしまいます。

 

芸術の歴史に革命を起こしたレディ・メイドという考え方

それではなぜ現代アートに美は必要なくなったのか?なんですが、そこには芸術の歴史に革命を起こしたある作品がかかわってきます。それはマルセル・デュシャンの「泉(もしくは噴水)」という作品です。

 

このマルセル・デュシャンの「泉(もしくは噴水)」という作品は便器にサインをしただけという有名な作品で、美術の教科書にも載っていますから誰でも一度は見たことがあるはずです。

 

そしてこの作品が芸術の歴史に革命を起こしてレディ・メイドという考え方を生み出します。

 

このレディ・メイドとは既成の物をそのまま、あるいは若干手を加えただけで展示するというもので、このレディ・メイドによって作家が実際に作品を制作することはさほど重要ではなくなり、それよりも作品に概念を付与することの方が重要になったわけですね。

 

つまり概念を付与すればどんな物であっても芸術になりうるという考え方が出てきたわけで、これによって美は作品を作る動機から排除され、現代アートにおいて作品を評価する価値基準が美から概念に切り替わったわけです。

 

ですから現代アートの作家たちは美など最初から追及しておらず、ただひたすら概念をこねくり回す遊びをやっているわけです。そしてこれが著者が現代アートを美術と言うのは間違いで知術と言うべきだという理由なんですね。

 

なるほどということで、ここまで説明してもらえると現代アートというものがいったいなんなのかさすがによくわかったといった感じですが、この本ではここから更に現代アートの作家たちが具体的にどういった概念のお遊びをやっているかを詳しく解説してくれています。

 

さらに詳しく勉強したい人はこの本を読んでもらえばいいと思いますが、正直言いますと私はもうここまでですでに頭がクラクラしてしまって、もう結構ですごちそうさまという感じです。

 

私としてはやっぱり概念よりも美の方がいいなあ、美の方が好きだなあという感じなので、正直現代アートはもういいかなと思います。

 

ただ、もはや美を追求しても大したお金にはならず、現代アートの方が圧倒的にお金になるという現実もありますから、その辺りが非常に悩ましいなと思いますけどね。