中公新書、2025年、定価1300円+税、ISBN: 9784121028815

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この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
――日本国憲法より

現代政治史の書を紐解いて眺め読むとき、わたしはどうしても森喜朗政権と小泉純一郎政権との間にひとつの線を引いてしまう。国家観や経済政策についていえば両内閣はともに中曽根康弘政権の系譜を引いており、国会情勢に注目すれば橋本龍太郎内閣から郵政選挙までをひとつのブロックと見なすのが妥当であるにもかかわらず、だ。

その原因は自分でも承知している。すなわち、99年11月に世に生を享けたわたしにとって小泉純一郎は名を知った最初の首相であり、そのことが時代認識に大きな影響を及ぼしているのである。この先はテレビやパソコン、スマートフォンのディスプレイを通じてリアルタイムで認識してきた自分の時代であるとの意識が、現代史を読み解く態度にいつも表出するのだ。

かくなる「自分の時代」というものが存在するように、自分たちの時代、われらにとっての歴史というものもまた存在する。いや、そのような史観を構築し普及させることこそ、歴史学の重要な使命のひとつであるといってよい。そして、「自分たち」「私たち」に何を代入するかにより、その意味するところは当然変わってくる。

戦後、とはそうした自意識に裏付けられたという性質の濃い時代区分の代表といえる。米国人にとってThe Civil Warがとりもなおさず南北戦争を意味するように、本邦人民にとって「戦」とはいうまでもなくアジア・太平洋戦争のことである。しかしながら、各時代・各地域を見渡せば、この「戦後」なる時代区分がきわめて不安定な基礎のもとに立っていることが浮き彫りになる。

「戦後」の始まりはいつか。相当数の日本人がそれを1945年8月15日正午であると回答するだろう。この日この時を以て近隣諸邦とそこなる人民を攻撃し、連合国に最後の敵とみなされた大日本帝国は、当時の法的主権者たる「昭和天皇」裕仁がラジオ放送を通じてその自壊を宣言し、爾後焦土と廃墟のうえに装い新たなる平和国家が建設されてゆくことになる。「終戦記念日」の名と、「堪え難きを堪え忍び難きを忍び以て万世の為に太平を開かんと欲す」という広く知られた一節ともに継承されてきた以上のごとき認識には非常に強固なものがある。

しかしながら、時代の画期についての様々な認識を並べ見るとき、こうした戦後観はあらゆる時代のあらゆる人々が共有するものではないことが確認される。すでに1945年6月23日には米軍の攻撃を受けた大日本帝国陸軍第32軍が沖縄本島に壊滅し、同島をめぐる国家間衝突は終焉を迎えている。原子爆弾の投下により壊滅的被害を受けた広島や長崎の方々にとっては、それぞれ8月6日と9日とが、戦禍の記憶を追想する重要な日付となっていることだろう。北方に目を転じれば、8月8日に対日参戦したソヴィエト連邦が日本による無条件降伏後も侵攻を続け、翌月5日まで占領地域を拡大させていた。中国東北部や北方四島の住民にとって、戦争の脅威は8月15日の後も止むことがなかった。世界史の観点からアジア・太平洋戦争を捉える際にはこうした差異がさらに顕著なものとなる。法的に見れば、第二次世界大戦は日本政府がポツダム宣言受諾を対外宣言した1945年8月14日に事実上の終結をみている。形式的には戦艦ミズーリの上で降伏文書に調印がなされた9月2日こそが終戦の日と呼ばれるべきだ。さらに言えば、欧州における戦闘状態はナチスドイツが無条件降伏を受け入れた3月の時点ですでに解除されている。けだし8月15日という日付は国際的にさしたる意味を持たない。

しかも、以上に述べた様々な「終戦」のいずれもが、その時点を以て新しい時代が始まったとの認識を当初から併せ持っていたわけではない。内地の、とりわけ都市部の人びとは8月15日以降も依然として社会再建など見通しのつかない状況に置かれていた。移住や遠征のためにアジア・太平洋各地に拡散した人びとにとって当面の課題は引き上げであり、そこでの生活は戦時下の困難の延長線上にあった。政府要人は終戦工作開始以来、終戦後も「国体」護持をなお第一の政治的課題に掲げ続けていた。アジア・太平洋諸邦とそこなる人民の少なくない方々にとって大日本帝国の撤退は旧宗主国への抵抗や、新国家建設のヴィジョンを巡る内紛の始まりに過ぎなかった。サンフランシスコ平和条約の締結時に「本土」から一方的に排除された沖縄とその住民にとっては、琉球処分以来の主権剥奪の状況が米軍による占領という形で継続することとなる。戦時下に帝国に徴用され非道な労務に動員されたことへの補償を求める方々、戦争終結の過程の中で郷里の隣人との別離を強いられた方々、平和に対する罪の追求が米軍の恣意により不徹底に終わったことを疑問視する方々、市民への戦争被害への補償を黙殺し続けてきた国家に抗議する方々……にとり、アジア・太平洋戦争はまだ終わっていないとさえ言ってよい。

以上のごとき混沌のなかから、それでも少なくない人びとが「戦後」という時代を掬い上げ、今日まで錬磨してきたのはなぜか。そしてそこには何らかの意義があるのか。このような問いを考えるうえで、安岡健一『戦後史:1945–2025:敗戦からコロナ後まで』(中公新書、2025年)はすぐれた基礎を提供してくれる。

本書について第一に特筆すべき点は、その現代史叙述としての秀逸さである。歴史教科書における現代史叙述は(著者自身がその編纂に関わっているため過度な強調は憚られるのだが)、一言でいえば煩雑にして拙速であるとの印象がある。無論、これは仕方のないことでもある、歴史はその再構成の手法上、近い過去ほど言及しうる・言及したくなる事件の量は増加する。さらに遠い過去であれば、数多の先賢による議論が積み重ねられてきているため、諸事件を暫定的であれ取りまとめる体系を構築しやすいが、これに対して現代史は未完の歴史という特質上、どうしても個々の事件を整理する軸を定めづらい。結果、ともかくも名だけは胸に刻んでおくことが期待される人や土地、出来事を網羅せねばならないという歴史教科書への要請も相まって、膨大な事物を足早に通過させるスタイルを採用せざるを得ないのだ。もちろんここ数年の歴史教科書の再編の努力には――教育現場の実態を十全に顧みたとは言い難いかもしれないものの――目を見張るものがある。しかしわたしと同じく丁度ひと世代前の教科書で現代史を学んだ人間は、教科書と学校で教授された現代史に難解であったとの印象をなお強く抱いていることであろう。

本書はそうした現代史叙述の問題を克服するため、種々の点において革新的なスタイルを採用している。

まずはその構成および内容における特徴を見てゆきたい。後述するように本書はその網羅性にこそ他の概説書にない長所があるため、そのすべてに言及することは叶わないが、ここではわたしが個人的に優れていると感じた点をふたつ挙げる。

第一は各項の題材の抽象性と意外性である。分野の偏りが生じないように配慮しつつ名称面・内容面に照らしてとりわけ興味深い項目をいくつか列挙すると、「占領と性(pp. 57–59)」「離散家族問題(pp. 87–89)」「巨大な人の移動――都市と農村の変貌(pp. 104–109)」「高品質な国際商品へ――技術革新の現場とQCサークル(pp. 109–111)」「隔離される人たち(pp. 146–148)」「歴史認識問題の国際化(pp. 184–185)」「『アメリカ』の意味と日本論(pp. 194–197)」「市民としての在日外国人(pp. 217–220)」「『自己責任』論と北朝鮮拉致問題(pp. 257–260)」「変わる結婚観・家族のあり方(pp. 270–272)」「安倍談話の内容(pp. 303–305)」「包摂に向かう新たな統合へ(pp. 332–336)」といったものがある。題目を一見しただけでおわかりいただけると思うが、上記項目で扱われている内容はいずれも、従来の歴史入門書において政治史や外交史、経済史や社会史といった各分野の下で付言される程度の扱いしか与えられていなかった種類のものである。しかし本書はこれらの独特の項目のもと、必要に応じて個々の事件を掘り下げつつ、それらを取りまとめる物語を打ち出している。また、このように多様な題材を扱っていながら、それぞれの項目でそれなりに長い期間を取り上げているため、歴史の流れが寸断されてしまっているとの印象を抱きにくい。さらに、かくの如く広範囲の事件を扱う書籍においては、しばしばそれぞれの分野における最重要の時代のみに焦点が当てられ、その前後への言及を欠いてしまうことがあるが、本書では関連する項目を意識的に読み継いでいけば空白期間を挟むことなく各分野の連続的推移を知ることができるようになっている。社会運動に関心の篤い友人諸君にとっては、それぞれの運動や団体にとっての活動史を扱った書籍を正確に読み解くうえで、本書の提供している歴史観が極めて有用となるであろう。

第二は、上述の立項の秀逸さにも関連するところではあるが、扱う事件の豊富さである。政治経済上の重要事はいうまでもなく、本書ではたとえば1947年の部落会・町内会廃止指令(p. 22)、1958年の松原・下筌ダム建設反対運動(p. 132)、1984年の所沢市における中国残留孤児のためのセンター設立(p. 198)、1991年のディスコ・ジュリアナ東京開店(p. 242)、2007年のアップル社iPhone発売開始(p. 318)など、特定のコミュニティや特定の世代にとってきわめて印象深いにもかかわらず、教科書でさほど大きな扱いを受けていない事件が少なからず取り扱われている。各々の読者にとって、名を目にした瞬間に新聞記事やニュースの記憶が鮮明によみがえってくるものがあることだろう。本評末尾で改めて総括するが、この特徴はそれぞれの帰属や世代にとっての印象深い事件を通じて、戦後史を「われら」の時代として再認識することに貢献していると思われる。またこの内容のなかには、しばしば日本国の歴史から排除されがちなアイヌ史や沖縄史の重要事件も組み込まれており、わたしのような本州出身者にとって実に啓発的な内容となっている。さらに歴史教育の観点からいえば、現在子供である世代、将来生まれて来る世代に、過去の空気をたしかな事実認識とともに伝達していくうえできわめて重要な役割を果たすものと思われる。教育に関わっておられる友人諸君には、学童の「あれこれはいつからこの世に存在するのか」といった類の質問に回答するうえで是非本書を参照してほしい。

ここまで構成や内容に関する特徴を見てきたが、本書の優れている点は史資料の扱いにも存する。本書における史資料を用いたアプローチのなかで特に傑出しているのは、統計と実態の対照、および個人の語りの効果的な引用である。

はじめに統計と実態の対照について見てみたい。戦後の社会経済史のなかで印象的なフレーズのひとつに「一億総中流」があることは多くの人にご同意いただけると思われる。このフレーズは総理府『国民生活に関する世論調査』の、総人口が1億人を突破したあとの1970年実施回において、自身の生活程度の意識を問われた際、「中」と回答する人が9割近くに達したことに由来するものであり、1960年代の高度経済成長がもたらした格差縮小と人口増加を象徴する語として学校教育でも言及される。しかし、著者は高度経済成長に関する旧来の見方に安住することなく、同種の調査が1954年には全く異なる質問形式で実施されていたことを紹介し、70年以降のよく知られた調査が、多くの人にとって「中」の選択肢を取りやすい形式になっていたことを喝破する。そして住宅需要にかんする調査を引きつつ、多くの人びとが理念型としてのミドルクラスではなく、困窮した状況におかれていながら、「皆と同じように」そこそこ苦しくそこそこ幸せだと感じていたのではないか、と推測している(pp. 159–160)。この主張は、60年代を「貧しさが見えにくくなっていく時代」と規定する少し後の記述(pp. 164–166)を参照することにより、一層示唆に富んだものとなる。本評で紹介した箇所に限らず、著者は多くの項目において複数の統計を対照するなどして、数値と実態の乖離や、数値がもつ真の意味を解明しようと試みている。ディベートに励んでおられる友人諸君にとっては、単一のエビデンスからいかに色彩豊かな叙述を展開しうるのかについて参考になるところが多かろう。

続いて、個人の語りを効果的に引用した箇所を見てみたい。本書は犯罪史を通史の中に組み込もうと試みている点でも魅力的なのだが、1997年の神戸児童連続殺傷事件(酒鬼薔薇事件)への言及に際しては、犯人の少年の語りの一節を引き、1968年に永山則夫が起こした連続殺人事件の社会的背景との対照を試みている(p. 264)。ほかに、70年代における日本人の米国観の変化を論じた箇所では、荒井由実(ユーミン)の「中央フリーウェイ」の一節を引き、米軍基地が抑圧の象徴から風景の一つへと変化していたことを示す(p. 195)。本書におけるこの類のアプローチのなかで格別に力が入っているのは沖縄返還の内実を論じた箇所におけるものであろう。この箇所で著者は、沖縄の本土復帰を推進する日本国首相佐藤栄作のもとを、返還の過程のなかで地方の主権や住民の福利が置き去りにされていることを懸念した琉球政府主席屋良朝苗が訪問した日、両氏がそれぞれ日記を記していることを紹介する。そして、佐藤が屋良との会談内容を記していないのに対し、屋良は佐藤への要請と応答を明記していることを踏まえ、立場による記憶の違いに注意を促している(p. 145)。記憶と歴史との関係は本書全体のテーマの一つだが、この項では日記を紐解くことにより、本来対等であるべき2名の為政者、そしてその下にある2つの地域の非対称性を可視化している。本書における史資料からの直接引用は公的資料からの引用を除くとそれほど多いわけではないのだが、以上のようにそれぞれが強い印象を残すものとなっている。小説を著すことを愉しみとしている友人諸君は、個人の語りのなかに時代というものがいかにして現れるのか、本書を読むことでよく実感できるものと思われる。

特殊な訓練を受けた友人諸君にとっては今更強調するまでもなかろうが、ここまで言及してきた本書の長所は、むろん著者独自のものばかりというわけではない。巻末に「主要」参考文献と銘打って列挙される文献の豊富さからもうかがい知れるように、以上の現代史叙述は各分野の専門家がそれぞれの立場から研鑽してきた成果に立脚している。実に幅広い分野の書物を取りまとめた著者の見識に舌を巻くとともに、あらためて、これまで研究を重ねてきた多数の専門家への敬意を表したく存する。

さて本書は、戦後という時代を描き出すにあたり、細部に気を配るだけでなく、マクロな工夫をいくつも施している。ここからは、この書籍全体を貫く歴史叙述上の特徴をいくつか紹介したい。

著者は冒頭にて、執筆に際して念頭においた観点として、①帝国と植民地、②都市と農村、③家族とジェンダー、の3つを挙げている(p. iii)。①で宣言されている通り、本書は大日本帝国が侵略した近隣諸邦とそこなる人びとがどのような「戦後」を迎えたのかに大いに紙幅を割いている。とくに中国、韓国の政治動向に頻りに言及する叙述により、戦後史が一国史の枠組から解き放たれ、世界の歴史のなかに位置づけられている点は特徴的である。著者は「おわりに」において「日本社会の経験は日本の専有物ではない」と述べているが(p. 342)、本論の叙述の姿勢もこうした意識を反映したものであろう。②は、著者のバックグラウンドもあって、類書にない特徴を本書に与えるものとなっている。農村から都市への人口移動というダイナミズムは近現代史の重要な要素のひとつであるが、学校教科書における近現代史叙述ではどうしても等閑視されがちな視点である。本書は人口移動はもちろんのこと、農政や機械化と農村社会との連動や、今日の東京一極集中に帰結する地方都市間の格差をも射程に入れており、今日われらが暮らす社会がどのようなプロセスで形成されてきたのかがよくわかるようになっている。このような工夫は著者の経歴上の背景だけでなく、「あとがき」で「私としては『役に立つ』歴史学を大切にしたい」と述べる(p. 350)その信念にも根差すものであるのだろう。

著者はまた③について、その題目から見える以上の工夫を凝らしている。家族とジェンダーをめぐる歴史の叙述は、通史においてしばしば社会史と社会運動史に引き裂かれ、またその断絶から多数の要素が零れ落ちること頻りである。翻って本書における記述を見ると、前借金に基づく性売買強制の違法化の背景に女性団体の働きかけがあったことや(p. 80)、高度経済成長における「主婦」の役割拡大が70年代におけるウーマン・リブ運動につながったこと(pp. 150–151)、国際交流の活発化を背景とするエイズの感染者出現により現出したパニックのなかで「同性愛者」の当事者団体の運動活性化が活性化したことや(p. 225)、韓国における女性の権利獲得運動が従軍慰安婦問題の提起につながったことなど(p. 235)、家族とジェンダーとが、そしてそれらが問題となるあらゆる分野とが接続していたことを提示している。ある場所では社会史と社会運動史をつらぬくダイナミックな歴史叙述を試み、またある場所では政治史や外交史、経済史のなかに家族とジェンダーの議論を組み込むことにより、単にこの視点に触れただけにならないような設計が施されているのである。そして、それは最終「第5章」が、「障害者権利条約のなかに示された、誰一人取り残さない包摂的な、インクルーシブな社会という理念」への言及を以て締め括られている(p. 336)ことと無関係ではないだろう。本書にとって、家族とジェンダーの変化のプロセス、そして障害者や外国人を含むすべての人びとの包摂のプロセスに言及することは、日本国憲法に示された「国民」とは果たして何者であるのか、そしてこの基本単位は果たして正当なものであるのかが問い続けられた戦後史の、ただの一部分ではなく、欠く能わざる屋台骨なのである。保守的な友人諸君は、その国民という単位の柔軟さや包摂性が再評価されている点に一定の希望を見出すことであろう。革新的な友人諸君、歴史叙述において無視されてきた人びとの叫びが「多数派」の言説とならぶ重要な位置付けを得ていることに一定の評価を下すことであろう。やや大げさに過ぎるかもしれないが、思想の座標がすっかり混乱をきたしてしまったかにみえる今日の本邦にとって、本書は新たな中道思想の一里塚であるとさえ言ってよい。

もちろん、詳細なる概説書にとり不可避なるいくつかの限界が本書にもまた存在したことには言及しておかねばなるまい。上にて家族とジェンダーの視点の秀逸さに触れたが、「戦後」と重なる期間において国際的な組織化と問題提起を推進してきた、既存のジェンダーの境界を乗り越えることや、それそのものを解体することを志してきた人びとの取り組みと歴史的背景については、エイズへの社会不安に関連して「同性愛者」の抵抗をわずかばかり紹介するにとどまっている。また私の問題関心からいえば、戦後日本の対外関係史を叙述するうえで、いわゆる中東諸国との関係は欠くことのできない重要な構成要素である。これらの国々とそこなる人びとは、アジア・太平洋戦争の直接の現場とならなかったこともあり、中東戦争とイラン・イスラーム革命に代表される一連の紛争のなかで欧米諸国への不信を募らせる一方、独自路線をなんとか堅持しようと努めてきた日本国の外交姿勢に一定の評価を与えてきた。日本国およびその構成員は、石油需要という下心も助けてこれらの国々への見識を深める一方で、ロシアや米国といった「帝国」と刃を交えた英雄であるとの仮初のイメージをどのように克服するかが対外関係の歴史における課題であったし、今も課題でありつづけている。さらに、インドネシアやトルコ等からの移民労働者も増えつつある今日において、われらがイスラームを尊重しつつ、どのように包摂してゆくのかも重要な問題である。しかし、本書は残念ながらこれらの点に独立した項目を設けることはしていない。とはいえ、こうした課題は、いずれも新書という形態に鑑みれば致し方ない側面もあったことだろう。

さて、結びに代えて本書のいまひとつの叙述上の特徴を紹介しておきたい。それは記憶の歴史・歴史の歴史への言及が充実している点である。といっても、戦後の史学史が体系的に扱われているというわけではない。そうではなく、本書の特徴は「戦後」の歴史を一貫した時代として描き出すうえで、豊富なコラムをも通じて「あの戦争とはなんであったのか」「戦後とはなんであるのか」を人びとが様々な立場からそれぞれ考え、語ったことを重視している点なのである。

ここで、冒頭の問い――すなわち、少なくない人びとが「戦後」という時代を掬い上げ、今日まで錬磨してきたのはなぜだろうか。そしてそこには何らかの意義があるのだろうか、との問い――に今一度立ち返ってみたい。本書が全五章から成り立っていることからもわかるように、アジア・太平洋戦争の終結という事態以外にも、高度経済成長の頭打ち、55年体制の終焉、「昭和天皇」裕仁の崩御、バブル経済の崩壊、未曽有の被害をもたらしたテロや震災など、時代に線を引くべき事件は多数ある。しかしそれでもなお、1945年から2025年の今日までの長大な期間に「戦後」との名が与えられ続けているのは、父祖とわれらとが、それぞれの位置からひとつの課題に取り組んできたとの共通の記憶に立脚している。それはむろん濃淡があるし、所々作為のある記憶でもあるのだが。とはいえ、曲がりなりにも「戦後」認識が平和への祈り、そして万民の全き自由と平等の実現を目指そうという志とともに継承されてきたことにはそれなりの意義があろう。そうわたしは思っている。

「私」の時代といわれる。変革を目指す人びともそれを諦めた人びとも、「われら」意識は手放すべきものだと見なしているかに感じられることもある。また、社会保障制度の持続可能性への懸念や、絶え間なく続く技術革新とそれがもたらすデジダル格差、倫理的価値観の目まぐるしい進歩は、相異なる世代間の対話をますます難しくしているようにも思われる。しかし戦後史は「われら」が何者であるかについての不断の問い直しこそが、ときに揺り戻しを経験しつつも、隔離されてきた人びとを解放し、排除されてきた人びとを包摂し、無視されてきた人びとの声に耳を傾けることにつながったことを示している。「あの戦争」が近隣諸邦と本邦とにもたらした惨禍を顧みつつ、人間の権利自由を絶え間なく求め続ける、終わりのない時代「戦後」を生きる同志としての意識をもつことが、いまのわれらには求められていよう。

 

※2026年1月3日追記:きょう、米国がベネズエラ首都を急襲し大統領を拉致するという事件があった。国際社会に対し「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」すると誓った者たちの子孫として、評者は本件を含むあらゆる侵略戦争に賛同しないことをここに明言する。
 

※2026年1月19日追記:本評で「中道」という語を印象的に用いた以上、つい数日前に結成が表明された新政党の名称について言及しないわけにはゆくまい。評者は、私の情動に目を奪われるあまり同朋の尊厳を蹂躙して気にも留めない者の主張を批正しながら、多様な政治的理想のせめぎあいのなかで共通部分を模索してゆくという態度としての中道を旨とする当該政党の立場に一定の理解を示している。他方で、当該政党がかかる理念としての中道と、単に妥協可能なだけの政策案を打ち出すという実務におけるスタンスとの境界線を意図してないし意図せずして曖昧にしている点について、評者は強い懸念と警戒心を抱かずにおれない。