簡単な内容:

偏見や差別について事例などがまとめて紹介されている。アメリカの本。

 

簡単な感想:

 

Kindleで読んでいて、なかなか残りのパーセンテージが減らないと思ったら、20%ほどが原注だった。そのくらい参考文献が多い本で、様々な事例が紹介されている。メモが多くなったので何回かに分けて書こうと思う。

 

マジョリティ集団に属する人とマイノリティ集団に属する人とでは、そもそも現実の見え方が違うのだ。社会心理学者のエヴリン・カーターによれば、文化的マジョリティに属する人は意図的なバイアス行動しか認識できないが、マイノリティに属する人は意図しないバイアスをも認識できるという。

 

いじめをしている側にとっては忘れていても、されたほうは細かいことも覚えているといったことかなと思った。マイノリティは無意識に表れている偏見を感じることができる。見えている世界が違うから、双方の言い分が一致しないことはよくありそう。

 

頭では偏見をなくそうとしていても、癖でうっかりバイアスが出てくるのだ。ディヴァインはそう推測した。意識的に選んだ行動については注意できても、無意識の連想に引きずられた反応は注意をすり抜けてしまう。それは思考の癖であって、自分でも知らずにやってしまうことなのだ。

 

この部分がわたしが気になっているところ。頭ではわかっていても、とっさの反応が無意識からやってくる。以前に記号接地というのを学んだが、それよりももっと深い部分にある気がする。まず、自分でも知らずにという部分も難しい。記憶喪失になっているわけではないから、自分の行動を知っている。でも、自分の行動の意味を自分で知らないということだろうと思うので。

 

人の心には、自分が正しいと思っている意識的な考えと、そうではない連想やステレオタイプが共存しうる。自分の意見は選べても、勝手に浮かんでくるイメージは選べない。後者はまわりの環境によってすり込まれるものだからだ。文化的に作られたイメージは、本人が同意するかどうかにかかわらず、こっそりと心のなかに忍び込んでくる。

 

環境によってすり込まれるという部分が印象的だった。情熱をコントロールするときに、意思の力ではなく環境の力を使うというのがあったと思う。それに自己啓発だったりビジネス系の本で、よく会う友人たちの平均が自分といった話を見ることがある。だから、自分よりレベルの高い人と付き合うようにしようということなのだが、こういった環境の影響を考えてのことなのかなと思う。環境が発しているメッセージに気を使うのは自分の状況にも使えそうで、良いアイデアかもとあらためて思った。

 

また、バイアスを受ける側の主張として被害妄想が膨らんでいるように見えることもある。それ以外に、バイアスを受ける側の主張が相手へのバイアスを含んでいるように感じることもある。そういった場面では、いま当たり前と思っているラインが、文化的に心に忍び込んでいるバイアスではないか考えてみる必要はあるかもしれない。

 

善意の人がバイアス行動をとってしまうときに頭のなかで何が起こっているのか、その正確な仕組みはまだ論争の渦中にある。

 

実際にはまだ結論が出ていないので、引き続き新しい情報にはアンテナを張っていきたい。

 

20 世紀に女性が家庭を出て経済活動に参入してきたという考えにしても、歴史的に見れば正しくない。「女性は家庭」というイメージ自体、 18 世紀から 19 世紀に上流階級の白人によって作られた理想にすぎないからだ。

 

女性の気質とされるものは、この社会のなかで条件づけられ、賞罰によって強化された行動にすぎない。それなのにステレオタイプとして、男性優位社会の言い訳に使われる。女性はもともと従順で協調性がありすぎるから、人を出し抜いて出世などできないのだ、と。

 

女性の理想や気質について、何かの本で読んだ記憶がある。今回の本の最後のほうに出てきたが、女性の神様が時の流れのなかで男性に置き換わった話もあった。小さい頃によく童話を読んでいた。それは、こういったステレオタイプを強化しているのかもしれない。

 

現実のバイアスは人と人のあいだに存在し、差別を受けたためにその人自身の判断や行動が変化することもある。その判断や行動がまた次のやりとりを方向づけ、それによってさらに将来の判断や行動や選択肢が左右される。この連鎖はやがて重大な、人生を変えるほどの結果をもたらしうる。

 

黒人の少年に対する根深い偏見に影響されて、たとえば教師が黒人生徒の行動を実際よりも反抗的だと判断したとしよう。黒人の生徒は自分だけ罰せられて不公平だと感じ、教師に対して反抗的な行動をとる。すると教師は自分のバイアスがやはり正しかったと感じ、黒人の生徒に対してさらに厳しい罰を与えるようになる。

 

こういった予言の自己成就は気をつけないといけないな、と思う。だから、アファメーションなどポジティブな言葉がけがいいのかもしれない。ただ、そういった言葉がけで無意識が自分の言うことを信じてくれるかどうか。ただアファメーションをするだけよりも無意識の傾向を知ることで、どういったときに気をつけたらいいか分かって効果的な気がする。

 

ステレオタイプ脅威という現象だ。ステレオタイプに対する不安が脳のワーキングメモリを乗っ取り、集中力を低下させて、本来の実力が発揮できない状態にしてしまう。そのため「能力が低い」というステレオタイプは、予言の自己成就になりやすい。ある実験によると、明確な偏見を受けた女性はパフォーマンスが下がらなかったが、曖昧なバイアスを受けた女性は実際にパフォーマンスが下がった。

 

曖昧なバイアスは、脳のワーキングメモリを乗っ取るのか。モヤモヤしたら、まずは書き出したりして何かしらの見える形にするのは、やはり大事なのかもしれない。最近、「0秒思考」の最初の部分を読んで、1分間で考えを書き出すことを取り入れてみている。本では完璧に同じやり方を推奨しているが、すこしアレンジしている。そのため、効果は落ちているかもしれないが、やり終わった後はすっきりしている。何もしないよりはマシかなと思う。

 

つまり自分が客観的だという意識で採用に臨んだとき、応募者に対する差別はかえって強まったのだ。別の実験でも、性差別がすでに存在しないと思っている人は同じ履歴書でも女性より男性のほうを高く評価し、男性に対して8%高い給与を提示し た。

 

難しいのは、自分が客観的だと思うのは逆効果かもしれないこと。たしかに、実際はどんな人も常に何かしらのバイアスがあるという現実を、見えなくしてしまう可能性がありそうな気がする。自分の行動について、バイアスがあるものと思って行動に注意したり、振り返るといった姿勢が良いのかもしれない。