こんにちは。
私がどんな人かをお伝えしたくって![]()
好きなものを語るシリーズ、音楽編。
「私も、それ好き!」っていう方がいたらご一報ください。
語り合いましょう、よろこび合いましょう![]()
小学校時代 1988〜1994年![]()
私が初めて買ったCDは『君がいるだけで』米米CLUB。
小学校5年生の頃(1992年)、
ドラマ『素顔のままで』が好きで、その主題歌でした。
それを見た私の兄が「米米は昔の曲がいいんだぞ」と
カセットテープに兄・ザ・ベストを作ってくれて、
まんまとハマった私は「もっと聞きたい」とお願いして
何本も作ってもらいました。
このアラビアンな衣装のライブビデオとかさんっざん見たなー。SHAKE HIP!
いまだに、ファンクの名曲とか聞くと「米米の元ネタこれか!」みたいなことがある。
ファンクとかポップのいい曲がいっぱいあるんだよねー。
兄は他にも、BUCK-TICKとかCOMPLEX、岡村靖幸、電気グルーヴ、スチャダラパー、
ソウルフラワーユニオンなどなど教えてくれた。
BUCK-TICKとか岡村ちゃんとか、いまだに好き!
いまだに変わらないB-Tの皆さま。
私はいつか自分の書いた小説がドラマ or 映画化された折には
B-T様に曲を書いていただくという野望があります![]()
中学時代 1994〜1997年![]()
中学に上がってもそのまま米米が好きだったんですが、
中学卒業時に米米が解散することになり。
中学時代は他には、当時流行っていたドリカムやJUDY AND MARYなどを聞いていました。
またしても兄がGJで、解散ライブ(東京ドーム)のチケットを知り合いから
手に入れてくれたんですよね![]()
友だちと二人で行った米米CLUBの解散ライブ。
2階席で遠いながらに
「大好きなあの人たちが、生で、そこにいる
」
という感激で涙が止まらなかった。
高校時代 1997〜2000年![]()
好きなバンドが解散してしまう喪失感を味わいつつ高校生になり、
しばらくして私の琴線にビンビンに触れてきたのがイエローモンキーでした。
その前の『SICKS』を入り口にして全アルバムを買ってハマり、
ライブに行くためにファンクラブにも入って。
武道館、横浜アリーナ、日本青年館とかもかな、
行けるライブは全部行きました。
で、イエローモンキーきっかけで雑誌「rockin’ on JAPAN」を買うようになり。
そこから一気に好きな音楽が広がりました。
GREAT3、TOKYO no.1 soul set、BLANKEY JET CITY、UA、
THEE MICHELLE GUN ELEPHANT、椎名林檎、スーパーカー。
そうしたバンドにどハマりして、放課後に
当時は歌舞伎町にあったリキッドルーム、渋谷のクアトロとかの
ライブによく行く生活が始まりました。
当時から私は
「同じ時代を生きているなら、
ライブに行って生で感じてなんぼだ
」
という感覚があって、
CDだけじゃなくってなるべくライブを見たいと思うんですよね。
高3のとき(1999年)に「rockin’ on JAPAN」が主催する
RISING SUN ROCK FESTIVALの第1回が行われることになって、
音楽好きの友人と3人で北海道・石狩まで行ったのもたのしかった。
画像の粗さに時代感。
東京から北海道まで青春18きっぷで行ったんだった! 体力あるなー。帰りはヒコーキだったけど。
海外勢だとinter FMで流れてくるビョークに痺れてアルバムを買って。
それから、めちゃくちゃ好きだったGREAT3の
Guitar, Vocalの片寄さんが
当時、雑誌STUDIO VOICEで「今年のアルバム10選」みたいなのを紹介してたんですよね。
そこでお薦めしていたのが
Tommy GuerreroとかTortoiseだった。
(他にはA Tribe Called Questとかも載せていたと思う)


それでTommy GuerreroとTortoiseのCDを買って、衝撃・・・!
方向性全然違うけど、どちらも格好良すぎてどうしたらいいのやら分からなくて地団駄。
Tommy Guerreroは今も好き。フジロックで一度ライブも体験。
今年、私がいま住んでいる鹿児島にもライブに来ることになり、
うおーとなったけど、来日自体が流れたのであった。
数年前のジェフ・パーカーのアルバムもめちゃ格好良かった![]()
大学時代 2000〜2004年![]()
そんな感じで大学生になり、Tortoiseつながりでsea and cakeも好きになったり。
GREAT3はその後、Tortoiseのジョン・マッケンタイアがアルバムを2枚
プロデュースして、そのアルバムがほんとうにほんとうに良すぎて
大学の時どれだけ聞いたか分からない。
心の奥深くにいまだにある。
それから2003年のフジロックにbjorkが出ることになり、フジ初参加。
楽しすぎてそこから何年か、社会人生活になっても毎年行っていました。
フジロックで私は、気力が体力を凌駕する瞬間を知った・・・。
* * *
ここからは社会人時代。
フジロックきっかけで好きになったバンドもたくさん。
直接フジに出てたわけじゃないけど、そこからのつながりで
Medeski Martin and woodを知って好きになったり。
ちなみに私の人生で最も凄まじく感じたライブは、
今はなき六本木SuperDeluxeで見たclub d’elfだと思う。
(2008年 OrganicGroove)
20代でライブによく行ってたのはゆらゆら帝国。
Bjork、radiohead、ダフトパンクの単独も行ったなー。
prefuse73とかwarpレーベルの人たちも好きで、エレクトログライドにも一度行ってみたり。
そんな感じで30代になって、
私はラジオ番組「菊地成孔の粋な夜電波」と出会う。
菊地さんの音楽は聞いていた、情熱大陸も見て印象に残っていた。
でもラジオは聞いたことがなかった。

そこで流れる音楽が毎回最高かつ
アフリカからK-POPからJ-rapまで幅広く、
それから私の音楽のソースはほぼその番組になった。
菊地さんのラジオでは選曲に加えて、
音楽と掛け合わせてのトークやラジオドラマや朗読も、前説も、
何もかもがおもしろくて格好よくって、
こんなにも音楽、文学、映画、ファッション、ストリートカルチャー、格闘技etcと
幅広く、分厚い知識と感性の
格好いい大人がいるんだ、ととにかく夢中になって聴いた。
菊地さんのラジオから発せられるメッセージは、
私にはこう聴こえていた。
「この世にはまだ生きる価値があるし、君にはまだ生きる価値がある」
菊地さんの選曲と語り口は、
いつもラジオを聴く人、関わる人、そして世界への愛に溢れていた。
こうやって言葉にするとあんまりに陳腐だけど。
私はその(勝手に感じていた)メッセージにどれだけ救われたか分からない。
当時、私は3年半くらい一緒に暮らした彼氏と別れて
(しかも原因が私の浮気という最悪さ)
お金もなくって部屋の更新料が払えない、というどうしようもなさだったけれど、
(そうして私は高知に移住する)
菊地さんのラジオはほんとうに生きる力だった。
番組に、一度だけメールをしたことがある。
絶対読まれるように、と書いた。
読まれた。
それでいただいた番組のステッカーはもうボロボロだけど、私の宝物だ。
菊地さんの各種プロジェクト(バンド)にもどハマりして、
日比谷野音のDCPRGのライブを皮切りに、
私の「行けるライブは全部行く精神」をここでも遺憾無く発揮。
ブルータス元編集長の西田善太さんがおっしゃった(←多分)ように
菊地さんは仕事が多すぎて、個人で全部追うのは不可能なんだけど、バンドのカラーがそれぞれ違うので、
野音から赤坂BLITZ、新宿ピットイン、モーションブルー、オーチャードホールと
いろんな箱に行けるのもたのしかった。
名古屋や大阪、福岡でも観たdc/prgは
新木場コーストの解散ライブも鹿児島から参加しました。
番組は終わってしまったけれど、
いまだにそこで知った音楽を私は愛していて、よく聴く。
あの時、あの番組があって、ほんとうに良かった。
* * *
現在よく聞いているアーティストは、
七尾旅人、折坂悠太、中村佳穂、角銅真実、藤井風。
高木正勝さんやharuka nakamuraもよく聴きます。
Miguel Atwood-FergusonとCARLOS NINO周辺もとても好き!
けもの、オーニソロジー、菊地さんのプロジェクトももちろん。
ラディカルな意志のスタイルズはまだ聞いていない。
* * *
ことほどさように私は音楽が好きなのです。
ボーイフレンドと店で食事をしていたとき唐突に
「あぁ、あなたは身体で音楽を聴いてるんだね(耳じゃなく)」
って言われたことがあった。
この人なんて私のこと分かってくれてるんだろうってキュンとしました![]()
こんなにとりとめのない長い記事をもし最後まで読んでくださった方がいたら、
お礼にハガキの一枚でも送りたいですわ![]()
読んでくださってありがとうございます![]()
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