1/12(日)

ヒーリングビュッフェin国立に出店しました❤

なかなかタイミングが合わずに、最近は数ヶ月に1度の出店となってしまっていますが、

毎回ヒーリングビュッフェでお越しくださるお客様がいらっしゃり、本当に嬉しい限りです🌟。:*

スタートから夕方までビッチリお客様にお越しいただき、ありがとうございました❤

最後の1時間は私の為の時間として、ビュッフェを楽しませていただきました!

セッションを受けたり、物販を覗いて石を購入したり…。

まるっと1日満喫しました❤

お越しくださった皆様、ご一緒に出店してくださった皆様、主催・スタッフの皆様、ありがとうございました🌟。:*

またタイミングが合いましたら、出店させていただきます!

ホスピタリティの行き届いた、アーティスティックな空間のヒーリングビュッフェでお会いしましょう❤

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前日の長野県からは深夜帰宅でしたが、早朝から参拝に出向きました。

今回伺った神社は、立川市にある『阿豆佐味天神社 あずさみてんじんじゃ』です。



御祭神

少彦名命(すくなびこなのみこと)
天児屋根命(あめのこやねのみこと)

まだまだ参拝客のいない境内は、キリッとした空気感が漂います。

所々に神様との向き合い方やマナーなどがイラストと共に書かれた看板が立ち、教育的な要素から子どもがたくさん訪れる神社なのだな…と分かります。

それもそのはず。

境内にある『立川水天宮』は安産・子授祈願の神社としてとても有名で、私の目的もこちらの神社でした。

また、阿豆佐味天神社の御祭神も、医学・健康・知恵の神として名高い少彦名命と、文学・芸術の神の天児屋根命ですから、

生命を授かる所から誕生・成長。そして、老いていくまでをずっと見守ってくださる神社として、崇敬されているのでしょう。




昨年12月。
娘の妊娠を唐突に知りましたが、臨月近くまで気付かずに過ごしてしまったが故、

年明けかも? とか1月半ばかも? などと、予定日が2転3転し、気の休まらない状態でのイベント出店の日程でした。

とにもかくにも、安産であって欲しい。

という、母としての娘に向けた願いを聞き届けていただくため、参拝したのです。

水天宮の御祭神は、

天之御中主大神(あめのみなかぬしのおおかみ)
安徳天皇(あんとくてんのう)
建礼門院(けんれいもんいん=安徳天皇の母=平清盛の娘)
二位の尼(にいのあま=平清盛の正室=建礼門院の母であり安徳天皇の祖母)

水天宮は福岡県久留米市の水天宮を総本宮とし、上記の神々を祀っています。
※異なる祭神の水天宮もあります。

天之御中主大神は造化三神の1柱であり、天地開闢(てんちかいびゃく=天地に代表される世界が初めて生まれた時を示す)の神様です。

ビッグバンを現しているとも言われ、つまり誕生を示す神様なので、安産の神様として祀られています。

しかし、その他の神様たちは何故なんだろう?
という疑問から、この記事を書くにあたり水天宮の成り立ちを調べてみることにしました。




水天宮の発祥は今から約700年前。
平清盛の血をひく安徳天皇は源氏の激しい追及に、京都から西へ西へと逃げていき、

ついに壇ノ浦(現在の山口県下関市)の合戦で源氏の軍船に囲まれ、祖母の二位の尼に抱かれ母の建礼門院と共に波間に身を躍らせました。

1185年、安徳天皇8歳の時であったといいます。

お仕えしていた官女の按察使局(あぜちのつぼね)が、ひとり源氏の追っ手を逃れ九州の筑後川へと辿り着き、

壇ノ浦で共に入水しようとするも二位の尼に止められ、『お前は生きてわれらの霊を鎮めよ』との命を受けます。

局は命に従い川のほとりに小さな祠を建て、安徳天皇とその一族の霊を慰める日々を送ったのが、水天宮の起源と言われています。

後に有馬忠頼公により、現在の久留米市瀬下町に7千坪の敷地が寄進され、豪壮な社殿が造られると、

わずか8歳で犠牲となり海中に沈まれたが、万民を救う尊い神慮によるとされ、信仰を集めたのだといいます。

つまり成り立ちを知ると、水天宮は平清盛公との深い繋がりのあった神社なのだと分かったのです。


こちらの記事に書きましたが、私は昨年12月に平清盛公が崇敬したとされる、厳島神社と清盛神社をお詣りしたばかりでした。

この繋がりが分かった時には、本当にびっくりしました。

自分自身の妊娠出産時には、水天宮という神社すら知らずにいましたので、今回娘の出産に合わせて初めて伺ったという事は、旅から続く導きとしか思えませんでした。

更にもうひとつ、この流れでびっくりする事がありました。

この日のイベント『ヒーリングビュッフェ』にお越しいただいたお客様に、天之御中主大神が視えたのですが、

なぜか『水天宮でお会いしましょう』と言われるのです。

まだ、平清盛公との繋がりを知らない段階でしたから、水天宮=安産という知識しかない状態でした。

しかもお客様は男性で、安産という要素にはピンと来ない様子です。

ご本人も少し困ったような顔をされていましたが、何度聞いてみても『水天宮で』と仰られるのです。

『安産には関係は無さそうですが、天之御中主大神様がそう仰られるので、伺ってみてはいかがですか? 』

と、今朝ほど参拝したばかりの立川水天宮をお勧めしました。

お客様は早速参拝に向かわれ、その旨のご報告もいただき、良かったですねとお話ししていました。

数日後。
ちょうど私が平清盛公との繋がりに気付いた頃に、

『私の家は代々、平家の落人の家系なのですが、その事と今回の水天宮へのお詣りは関係ありますか?』

というメッセージをいただきました。

あまりの符合した内容に、メッセージを見た瞬間に鳥肌が立ったくらいでした。

きっとご先祖さま詣りをさせるべく、天之御中主大神が水天宮を指定されたのだと思われます。

私のセッションには度々このような事が起こり、私自身が毎度びっくりするのですが、

今回のこのお話はドンピシャ過ぎるくらいの内容でしたので、ご本人の了承を得てエピソードをご紹介させていただきました。



ちなみに、立川水天宮では二位の尼を二位の局と書いています。

二位の尼は前述した通りに平清盛公の正室であり、建礼門院の母であり、安徳天皇の祖母という人物です。

この方を局と呼ぶ形があるのかどうか? は分かりませんが、二位の局という方になると、明治天皇の典侍=側室であり、大正天皇の母になります。

初めは看板に書かれたお名前から調べていたので、二位の局という解釈で、

明治天皇と正室の昭憲皇太后の間には子宝が恵まれず、当時はまだ残っていた側室という風習を知る事が出来ました。

これはこれで意味があるかと思いますが、お祀りされていらっしゃるのは、二位の尼でよろしいかと思います。