7/16(月)

私は神奈川県横須賀市久里浜港からフェリーに乗り、千葉県富津市金谷港へと渡りました。




陸路でも行けるこの距離を、わざわざフェリーに乗ったのには訳があります。

それは、日本武尊(ヤマトタケルノミコト)が東征の際に横須賀市走水から千葉へと渡った海路であり

出発地は私の故郷真鶴になりますが、同じように海路を経て千葉へと渡った源頼朝が、

おそらく通ったであろう海を私も体感したかったからです。

実は数年前に計画していた旅路でした。

その時ではなくこの日だったのも、きっと意味があったのだと思います。

7/14・15・16の三連休。
珍しく私はイベント出店をスケジュールに入れていませんでした。

週末になるといつも家にいない私ですが、この三連休はPCでの依頼業務をしたり、いつの間にか溜まってしまった資料の整理などをしました。

今まで忙しいからと積み上げてしまっていた荷物が片付き、少しスッキリしました!

15日は家族で山梨県へとドライブに出掛けていました。


涼を求めて向かったはずの河口湖だったのですが、38度を超える暑さでびっくりしました。

しかしその暑さの中、河口湖で泳ぐ白鳥を見ました。

白鳥は冬に飛来して来るものと解釈していた私はびっくりしました!

運転中だったため写真は撮れませんでしたが、その時からフツフツと船出をしたい…と思い始めていました。

帰宅して行き先を調べようと思えば思うほど、『横須賀』『船』『島』というキーワードが降りてきます。

なかなか行き先を決めきれずにいましたが、とりあえず降りてきたキーワードを元に、横須賀へと向かう事にしました。

横須賀…と言えば『走水神社』

私のセラピスト業では、クライアントさんにご縁の深い神様をお知らせするので、私自身もたくさんの神社を巡ります。

それとは別に、神様から呼んでいただくこともありますから、

本当にたくさんの神社やお寺への参拝を日々させていただいています。

とはいえ身体はひとつ。

以前『走水神社』にご挨拶させていただいたのはもう4年近く前…2014年12月でした。

早速、最初の目的地として参拝することにしました。




走水神社は、日本武尊とその妻 弟橘媛命(オトタチバナヒメノミコト)をお祭りする神社です。

久しぶりに訪れましたが、変わらず暖かい愛に包まれた神社でした。

階段を上がった境内でご挨拶を済ませ、その脇にあるお稲荷様にもご挨拶しようとした時です。



後ろから「にゃ~ん」と、甘えた声が聞こえました。


振り向くと一匹の猫が、社殿の欄干に体を擦り付けながら向かって来ました。

デジカメを向けると、顔を近付けてこちらを覗き込む、なんとも可愛い写真が撮れました❤️



こんな可愛らしい歓迎を受けて、私はやはり出航を決めました。

どう考えても、日本武尊さんが出航を促しているような気がするのです。

猫ちゃんの可愛らしさはきっと弟橘媛命でしょう。

『大丈夫よ』

と、優しく後押しをされた気がしました。

フェリーターミナルに着くと、推し測ったかのようなタイミングで搭乗出来ました。


船内には売店や飲食販売ブースもあり、快適な海の旅が出来ます。


私は甲板へ出ました。



船が走り出すと自然と動画を撮り始めました。



港からどんどん離れて行く様子は、様々な感情を私に与えました。

私自身の感情はもちろん楽しみしかありませんが…

日本武尊の感情に置き換えれば、妻の死を乗り越えての出航になりますし、

源頼朝の感情に置き換えれば、追っ手への警戒と新天地での希望との狭間に揺れた出航だったでしょう。

離れて行く岸辺は、それを見つめる者にたくさんの感情の種を蒔くのです。



岸が見えなくなればもう、次は目指す地を見つめるしかありません。

強制的に自身の見つめる矛先を変えていく…それが船出だと私は思うのです。

陸路のように様々な道筋を辿って戻れる訳でもなく、

漕ぎ出したら戻れないのが海路であり

そこに覚悟と意志を持って進むのが船出なのだと思うのです。

私が船出を求めた意味は、そんなところにあるのかもしれません。



船の後ろには航跡が現れます。

海上に描かれた航跡は人生における足跡に等しく感じます。

私はこの航跡を見るのがとても好きなのです。

過去を振り返ったり執着するという意味ではなく、

足跡を振り返ることは自身を認める事なのだと感じるからなのかもしれません。

どんな道を歩んでも、どんな形状を生んだとしても、

それは全て自分の選択した道の結果。

残した足跡なのです。



海は常に私に何かを教え、伝えてくれます。

日本武尊や源頼朝と同じ海を渡ったことは、またひとつ。

私に理解を与えてくれました。

https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=2044751049118513&id=1613588745568081

※この日はライブ配信を行いました。
風切り音が激しく聴きづらいとは思いますが、色々とお話をさせていただいています。
Facebookページでシェアしていますので、よろしければご覧ください♪


※こちらの地図は東京湾フェリーHPよりお借りしました。http://www.tokyowanferry.com

40分の船旅を終えた私は、鋸南町竜島へと移動しました。



源頼朝の上陸地と言われている場所です。

https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=2044770475783237&id=1613588745568081
※こちらでもライブ配信を行いました。
この地に上陸した源頼朝に心を寄せ、様々なお話をさせていただいています。

穏やかに湾が形成された港町でした。

陸からあまり離れていない位置に、島がたくさんあるのが印象的でした。

人目をはばかり上陸するのには、うってつけだと感じます。

源氏恩顧の豪族たちや房総沿岸地域が対岸の三浦氏の治める地であったとしても、平家に味方する者も多くいるのが当たり前な情勢。

堂々と上陸したとは考えづらく、その目線で見るとこの港はとても都合が良く見えました。

源頼朝はとても遅咲きな武将です。

20年もの間流刑の身として伊豆に留まったことは、頼朝が周囲の者たちとの絆を深めるために有益な時間となりました。

房総半島へ渡った時には既に30代後半となっていた頼朝は、とても思慮深く情勢を見極めながら、

本来は敵であった桓武平氏の流れをくむ豪族たちを、着実に味方へと変えていきます。

彼らの抱える平家の理不尽さを理解できる生活を送っていたことや、それらを伝え受け止める懐の深さが備わっていたからこそだと、思うのです。

ーその②へ続く