本日無事に伊勢に入り、たくさんの神様にご挨拶をさせていただきました!
本当に有難いです♪
今回の伊勢神宮外宮前でのイベントが決まった時、
実にたくさんの神様からお呼びいただけました。
とはいえ、今までの遠征から比べると格段に遠い地であり、
イベント当日の朝だけでは、とても回りきれず…
前泊することにしました。
一緒に出店する【まてい屋】さんは、仕事のため当日合流です。
当初の計画は、電車を乗り継いで三重まで行き、
そこからは、レンタカーか公共機関を駆使してまわる…というものでした。
しかし日程が近づくにつれ、神様の呼び掛けに応えたい神社が具体的に絞られていくと、
三重県内と言えども、それぞれの立地が離れているので、効率を考えてマイカーで向かう事にしました。
運転は好きなのですが、全く知らない地域へ向かう訳なので、不安がないと言えば嘘になります。
ただそれでも、神様にお逢いしたい!
という強い思いだけで突き動かされ、早朝5時に自宅を出発しました。
ひたすら高速を走ること4時間。
途中は激しい雨に降られ、ドキドキしながらの道中でしたが、
三重県に着くと、雨は止んでいました。
実は今回の遠征にも、龍神様の同行がありました。
と言うのも、伊勢神宮内宮の御祓川である五十鈴川には、
大きな大きな、白蛇に近いお姿の龍神様がいらっしゃるのです。
私についてきてくださった龍神様が共鳴し、ワクワクした結果のどしゃ降りの雨でした。
鈴鹿に降り、いよいよ最初の目的地です。
亀山市にある、能褒野神社。
東征から帰った日本武尊が亡くなった地とされ、お墓がある場所です。
神社は『のぼのの森公園』の中にあります。
林道の様な道を進むと、神社近くの敷地にたくさんの車が停まっています。
そして大勢の方が参道や境内を、一生懸命掃除されていました。
皆さん気持ちよく挨拶をしてくださいます。
参拝を済ませ、近くにいらっしゃった方に御朱印をいただけるか訊ねてみると、
「あぁ、あちらに宮司さんがいるよ」
と、教えてくださいました。
清掃の指示をしているジャージ姿の男性が宮司さんでした。
―近々お祭りか何かがあるんですか?
と訊ねると、年に2回ある例大祭の日が、明日だというのです。
それで今日は朝早くから総代さんが集まり、境内の掃除をしていたのだといいます。
神職姿の宮司にはお会い出来ませんでしたが(笑)
掃除のおかげで、普段の日に来ていたら見れなかったであろう、本殿の中や社務所の中を見ることが出来ました。
神社を後にした私は、日本武尊のお墓にお詣りをするため、公園内を歩きました。
園内には、数々の古墳らしきものがあります。
その間を通り、日本武尊のお墓へと到着しました。
手を合わせていると、左手後方から歌声にも聞こえる、口笛のような音がしました。
振り返ると今度は、お墓の方へ向かい消えていく白い影を見ました。
以前、京都の豊国廟で豊臣秀吉公とお会いした時とも、
静岡の久能山東照宮で徳川家康公とお会いした時とも違う、不思議な感じでした。
お墓を後にして駐車場へと向かう道中、私にこの能褒野の墓群の意味を教えてくれる神様が現れました。
『ここは王家の墓であり、それを神聖なものとして護るために、日本武尊の墓を置いている。
日本武尊の墓はここだけではない。
…骨はひとつ場所にはないのだ。
だが、墓の在りかが重要なのではない。
重要なのは、ここを護る事だ。』
お墓を前にして、きちんとお会い出来なかった理由が分かりました。
日本武尊のお墓と噂される場所は、実はたくさんあります。
この能褒野にあるお墓は、宮内庁が制定したお墓ですが、
この神様のお言葉から、この場所がお墓のひとつである事も分かりました。
日本武尊はとても大衆から人気のあった神様ですから、このお話にとても頷けたのでした。
車に戻った私は、次の目的地へと向かいます。
―その2へ続く
本当に有難いです♪
今回の伊勢神宮外宮前でのイベントが決まった時、
実にたくさんの神様からお呼びいただけました。
とはいえ、今までの遠征から比べると格段に遠い地であり、
イベント当日の朝だけでは、とても回りきれず…
前泊することにしました。
一緒に出店する【まてい屋】さんは、仕事のため当日合流です。
当初の計画は、電車を乗り継いで三重まで行き、
そこからは、レンタカーか公共機関を駆使してまわる…というものでした。
しかし日程が近づくにつれ、神様の呼び掛けに応えたい神社が具体的に絞られていくと、
三重県内と言えども、それぞれの立地が離れているので、効率を考えてマイカーで向かう事にしました。
運転は好きなのですが、全く知らない地域へ向かう訳なので、不安がないと言えば嘘になります。
ただそれでも、神様にお逢いしたい!
という強い思いだけで突き動かされ、早朝5時に自宅を出発しました。
ひたすら高速を走ること4時間。
途中は激しい雨に降られ、ドキドキしながらの道中でしたが、
三重県に着くと、雨は止んでいました。
実は今回の遠征にも、龍神様の同行がありました。
と言うのも、伊勢神宮内宮の御祓川である五十鈴川には、
大きな大きな、白蛇に近いお姿の龍神様がいらっしゃるのです。
私についてきてくださった龍神様が共鳴し、ワクワクした結果のどしゃ降りの雨でした。
鈴鹿に降り、いよいよ最初の目的地です。
亀山市にある、能褒野神社。
東征から帰った日本武尊が亡くなった地とされ、お墓がある場所です。
神社は『のぼのの森公園』の中にあります。
林道の様な道を進むと、神社近くの敷地にたくさんの車が停まっています。
そして大勢の方が参道や境内を、一生懸命掃除されていました。
皆さん気持ちよく挨拶をしてくださいます。
参拝を済ませ、近くにいらっしゃった方に御朱印をいただけるか訊ねてみると、
「あぁ、あちらに宮司さんがいるよ」
と、教えてくださいました。
清掃の指示をしているジャージ姿の男性が宮司さんでした。
―近々お祭りか何かがあるんですか?
と訊ねると、年に2回ある例大祭の日が、明日だというのです。
それで今日は朝早くから総代さんが集まり、境内の掃除をしていたのだといいます。
神職姿の宮司にはお会い出来ませんでしたが(笑)
掃除のおかげで、普段の日に来ていたら見れなかったであろう、本殿の中や社務所の中を見ることが出来ました。
神社を後にした私は、日本武尊のお墓にお詣りをするため、公園内を歩きました。
園内には、数々の古墳らしきものがあります。
その間を通り、日本武尊のお墓へと到着しました。
手を合わせていると、左手後方から歌声にも聞こえる、口笛のような音がしました。
振り返ると今度は、お墓の方へ向かい消えていく白い影を見ました。
以前、京都の豊国廟で豊臣秀吉公とお会いした時とも、
静岡の久能山東照宮で徳川家康公とお会いした時とも違う、不思議な感じでした。
お墓を後にして駐車場へと向かう道中、私にこの能褒野の墓群の意味を教えてくれる神様が現れました。
『ここは王家の墓であり、それを神聖なものとして護るために、日本武尊の墓を置いている。
日本武尊の墓はここだけではない。
…骨はひとつ場所にはないのだ。
だが、墓の在りかが重要なのではない。
重要なのは、ここを護る事だ。』
お墓を前にして、きちんとお会い出来なかった理由が分かりました。
日本武尊のお墓と噂される場所は、実はたくさんあります。
この能褒野にあるお墓は、宮内庁が制定したお墓ですが、
この神様のお言葉から、この場所がお墓のひとつである事も分かりました。
日本武尊はとても大衆から人気のあった神様ですから、このお話にとても頷けたのでした。
車に戻った私は、次の目的地へと向かいます。
―その2へ続く