883冊目『北朝鮮に嫁いで四十年』(斉藤博子 草思社) | 図書礼賛!

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死ぬまでに1万冊の書評をめざす。たぶん、無理。

 

 

北朝鮮帰国事業では、約1830人の日本人妻が北朝鮮に渡った(882冊目『朝鮮に渡った「日本人妻」』)。福井県鯖江市出身の斉藤博子さんもまた、朝鮮人の男性と結婚し、日本人妻として北朝鮮に渡っている。一九六一年だった。朝鮮人の夫はどうも人間的に問題ありな人物で、日本で暮らしているときに、博子さんと出会い、脅すようにして結婚した後、何の相談もなく北朝鮮に渡ることを決めた。急遽、北朝鮮へ渡ることを告げられたとき、博子さんは最初は行くのを渋っていたが、この時にすでに子供が生まれており、家族が離れ離れになるよりはと、意を決して北朝鮮に渡った。旦那は、北朝鮮に着いてからは別の女と遊ぶなどいろいろやりたい放題の一方で、妻の博子さんが浮気をしているものだと信じ込み、日常的に暴力を振るうなどしていた。正直、こんな旦那と結婚したのは不運としか言いよういがない。

 

北朝鮮に来た博子さんの生活は壮絶そのものだ。まず博子さんは北朝鮮についたその日から、「ああ、やっぱり来ないほうがよかったのかなと思いました」(46頁)とすでに後悔していた。北朝鮮社会があまりにも貧しかったからだ。とはいえ、それでもしばらくの間は貧しいなりに生活できていたが、一九九四年に夫が亡くなると、事態は最悪なまでに急変する。博子さんによれば、一九九四年七月八日に金日成が死亡すると、日本からの送金が禁止されたらしい。それまで、貧しい北朝鮮でどうにか生活ができたのは日本からの送金があったからだが、この送金ストップは、一家の稼ぎ手を失った博子さんにとって、追い打ちをかける痛手だった。さらに最悪な事態は続く。大飢饉が北朝鮮全土を覆ったのだ(「苦難の行軍」)。九四年から九九年にかけた起こったこの大飢饉では、北朝鮮国内で餓死者が、最大で三〇〇万人がいたともされている(1)。

 

三〇〇万人もの餓死者を生み出したなどということは、近代文明社会にとってありえない事態である。「苦難の行軍」と言われるこの大飢饉に対して、北朝鮮の人々は何を感じ、どう行動したのだろうか。まず配給が完全にストップしたので、食料は自分で探さなければならない。博子さんも、山に登って何か食べられそうなものを拾って、どうにか一日一日を食いつないでいた。経済の統制が完全に機能不全に陥ったことで、ヤミ商売が蔓延ったが、本書には、死体の赤ん坊のお腹に穴を開け、電気の導線を詰め込んで密送しようとする若い女性がいたことを紹介しているが、これを読んで私は、あまりのおぞましさに吐き気がした。ほかにも赤ん坊が口減らしのために殺されるなど、この「苦難の行軍」は、朝鮮戦争に匹敵する、もしくはそれ以上の悲劇が、どうすることもできない諦念をもって書かれている。

 

博子さんは、この生活苦をなんとか乗り越えようと二度脱北している。目的は中国で働いた金で北朝鮮に残した家族を養おうというものだった。それまで政治亡命が主だった脱北は、九〇年代以降は、生活苦における脱北がその大半を占めるようになるが、これは間違いなく、この「苦難の行軍」が関係している。この時期の脱北は比較的容易だったようだが、二〇〇九年に北朝鮮が脱北行為を厳罰化してからは、脱北者の数は減少した。これ以降、脱北行為には国家反逆罪が適用されたことで、脱北者のいる家族は、重罪人の家族として大変肩身の狭い思いをしているという。日本人妻の脱北者平島筆子さんは、一度脱北して日本に帰国したにもかかわらず、北朝鮮に戻ったのは、北朝鮮に残した家族からの呼びかけに応じざるをえなかったからだ推測されている(318頁)。かつて家族のために人生を賭けた脱北は、今や家族のために脱北を断念するようにシフトしていっている。この脱北の力学は、今度どうように変わっていくのだろうか。何より、人がどこへ行き、どこに留まるかを決めるのは個人の自由だという基本的な権利が、北朝鮮の人々にも享受できることを願ってやまない。

 

(1)苦難の行軍 - Wikipedia