881冊目『卵をめぐる祖父の戦争』(デイヴィッド・ベニオフ 田口俊樹訳 早川書房) | 図書礼賛!

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死ぬまでに1万冊の書評をめざす。たぶん、無理。

 

 

前回紹介した『同志少女よ、敵を撃て』(880冊目)は、スターリングラード攻防戦を描いたものだが、本書で扱っているのは、レニングラード攻防戦である。いや、これはレニングラード包囲戦と呼んだ方が的確であろう。レニングラードは、ナチスドイツ軍によってぐるりと包囲され、近代戦史上最長とも言われる900日ものあいだ、外部との接触を断たれていた。当然、レニングラードに取り残された300万人は食料の補給もままならず、人肉を食うという事態まで発生した。100万人以上の住民が、飢え死にしたとされる。本書では、兵士に足首を掴まれたときに、「毎日二食食べている兵士の手だった」(29頁)と冷静に分析する主人公の心内文があるが、常時飢餓に苦しんでいれば、相手と接触しただけでその腹の満たし具合が分かるというこの記述は、まさにレニングラードで起こっていた飢餓の窮状をリアリティをもって伝えている。

 

本書は、レニングラード包囲戦に参戦したソ連兵士の祖父(レフ)の話を聞き書きしたという体裁を取る語り文学である。つまり、この小説は、大部分がレフのモノローグによって構成されている。レフは、対独戦争が熾烈を極め、家族が疎開するなか、ひとりだけレニングラードに残った。食料は無く常に飢えてて、もはや糞も出ない。そんななか、敵国のドイツ兵がパラシュートで降りてくる。しかし、このドイツ兵はすでに死んでいて、レフは地面に落ちたドイツ兵の持ち物を漁り、手ごろなナイフをちゃっかり自分のものにする。これはいくら敵国兵士のものとはいえ、立派な略奪罪である。レフは、やがて警察に捕まり、拘置所にぶち込まれるが、その場にいた大佐に妙な取引を持ちかけられる。なんでも大佐の美しい娘が結婚式を控えており、父親としては盛大なウェディングケーキを用意してあげたいそうなのだ。そのためにはどうしても卵がいる。レニングラード中を走り回って卵を調達してきたら、お前らの罪を許してやろうというわけだ。

 

なんとも滑稽な話である。住民の多くが餓死で死んでいっている現状で、レニングラードに卵なんかあるわけがない。しかし、このまま拘置所にいたってどうなるものでもない。レフは、ナチスドイツに包囲されたレニングラードで一週間以内で卵を調達することを約束して釈放される。この卵探しの旅に、レフに付き添うことになったのは、コーニャだ。コーニャは脱走兵として、拘置所にぶちこまれいた。本書は、レフとコーニャによる卵探しが主なストーリーだ。冗談好きで下ネタを連発するコーニャと一緒に卵探しをするのを、レフはわずらわしく感じるが、次第にコーニャの人間性に惹かれていく。戦場を歩きながら、丁々発止のやりとりを交わす二人の姿は、非常に微笑ましいもので、しばらくの間、これが戦争を舞台にした小説であることを忘れされる。饒舌は、極限状態における最大の慰安であるかもしれない。ちなみに、シベリア抑留体験者の石原吉郎の抑留記『望郷と海』(36冊目)には、饒舌な囚人の話がある。

 

レフとコーニャは、卵を求め、レニングラード市内を探し回る。途中、人食い男に殺されそうになったり、敵国ドイツ兵と遭遇したり、散々な目に遭うが、コーニャの機転と勇気ある行動で、いずれの難局もうまく切り抜ける。あまりにも長い大冒険の果てに、やっとのことで1ダースの卵を手に入れるのだが、その帰り道に、コーニャは味方の兵士に撃たれるというヘマをやらかしてしまい、死んでしまう。これまでコーニャの冗談に笑わされた読者としては、この場面が何よりも悲しい。約束通り、大佐のもとに卵を届けたレフだったが、なんと大佐はあらゆる囚人に卵の調達を依頼しており、レフたちはその任務遂行の単なる駒でしかなかったことが判明する。食料もない戦場で卵を調達させるのもバカげてるし(だいいち、戦局を最優先に考えなければならない大佐として失格だろう)、そんなしょうもない仕事で人間を駒のように使うのもバカげている。卵は割れやすい。レフは大事な卵が割れないように慎重に運んで帰ってきた。しかし、その途中でコーニャという大切な仲間を一人失った。ここでは、卵と兵士との天秤が逆転されてしまっている。小説『卵をめぐる祖父の戦争』は、戦争が人間をいとも簡単に卵の以下の存在にしてしまう、ただただ愚かなものであることを描いた作品である。