651冊目『韓国・独裁のための時代 朴正煕「維新」が今よみがえる』(韓洪九 訳佐相洋子 彩流社) | 図書礼賛!

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死ぬまでに1万冊の書評をめざす。たぶん、無理。

 

 

朴正煕は、1961年に軍事クーデターを起こし、1979年まで韓国大統領を務めた。クーデターを起こした当初は、国民の貧しい暮らしぶりを改善するためにやむを得ず立ち上がっただけであり、すぐに民主的政権にその座を譲ると述べていたが、結局、最後まで権力者の椅子にしがみついた。韓国は1987年の民主化まで、李承晩、朴正煕、全斗煥らの強権政治家による軍部独裁体制が敷かれており、民主化の動きは常に弾圧の対象であった。彼らに共通するのは「反共」である。現に朝鮮戦争で国土を荒らされ、1968年には北朝鮮の暗殺部隊がソウルに侵入するなど(1・21事件、映画『シルミド』2003)、外敵が存在しないわけではなかった。しかし、反共を国是とし、度重なる戒厳令を敷き、国内の締め付けたその手法は、まるで朴正煕は自国民を相手に戦争をしたように思えてくる。本書は、そんな朴正煕の独裁政治の手腕がどのようなものであったのかを、気鋭の韓国現代史学者・韓洪九が怒りの筆致で書いたものである。

 

朴正煕は、1972年に国会を解散させ、政党および政治活動を中止させ、非常戒厳令を宣言する「維新」体制を確立した。この維新体制の独裁ぶりは凄まじいものがあった。在野の活動家だった張俊河は、憲法改定請願運動を展開しただけで共産主義者だとされ、時の政権に拘束されてしまった。その独裁ぶりについて著者はこう述べる。「維新体制とは、大領領にお願いすることでも命をかけなくてはならない、そういう体制なのだ」(93頁)。その他にも、公安調書を捏造してまで事件をでっち上げた、統一運動家8名の死刑を実行した人革党再建事件、維新体制にデモで抗議したソウル大生を拘束し、無期停学にし、ある者には強制的に退学させた民青学連事件、野党政治家金大中拉致事件、「東亜日報」の言論弾圧、歌謡曲禁止や若者ファッションの取り締まり等々、少しでも政権に盾突く存在は、容赦なく息の根を止めにかかった。

 

こんな独裁者の朴正煕だが、現在でもその評価は韓国内では二分している。というのは、「漢江の奇跡」を呼ばれる高度経済成長を達成し、現代韓国の礎をつくった人は間違いなく朴正煕であったからだ。しかし著者は、韓国近代化のその輝かしい功績も、決して朴正煕によるものではないと主張する。維新体制のもとで経済成長を果たした韓国であったが、その労働環境は決して良好だったわけではない。特に田舎からソウルに上京した女性労働者は、コンスニと呼ばれ、差別的に扱われてきた。勤務中、充分な水分も休憩も取れず、埃まみれの工場で15時間も働き続けなければならない労働環境は刑務所以下の水準であった(118頁)。韓国の高度成長を支えたのは、労働運動も弾圧され、埃を吸いながら身体を蝕み、それでも必死で生き続けた無名の女工たちの姿であった。「韓国現代史で最も輝かしい成果が民主化と産業化なら、その歴史は必ず書きなされなければならない。その成果の真正な主人公は、朴正煕ではなく、何人かの名が知られた民主化運動家たちでもない。我々が最も記憶しなければならない人々は、その時代や最も困難な境遇のなかでも自分が人間であることを自覚し、人間としての待遇を受けるために抵抗していた数多くの女性労働者たちだ」(130頁)

 

おそらく本書の指摘で、一番忘れてはいけなのは、朴正煕の維新体制が、日本の明治維新、昭和維新の借り物だったというところだろう。朴正煕は、日本の二・二六事件について、「日本の軍人が天皇絶対主義に訴えるのがどうして悪いんだ。それに国粋主義者がなぜ悪いんだ…。日本の国粋主義将校が日本を滅ぼしたっていうが、日本が滅んだって、何言ってんだ。今、うまくやっているじゃないか…。国粋主義者の気概が日本の国民の底辺に流れている、その気概が今日の日本を作ったんだ…。我々はその気概を学ぶべきだぞ」(27頁)。韓国内の米軍撤退を食い止めるために基地村浄化運動という名目で売春制度を整備したのは、帝国日本の従軍慰安婦の構造をそのままなぞっている。また、農村の近代化を目指すセマウル運動にしても、宇垣一成総督時代の朝鮮総督府による農村振興運動の焼き直しであった。朴正煕政権下には至るところに帝国日本の残滓が見える。朴正煕は実は、反日を皮をかぶった親日だったのではないか。朴正煕自身、植民地時代は満州国陸軍軍官学校へ入隊したれっきとした帝国軍人であった。日本は、1945年に敗戦し、占領軍の民主化政策によって帝国精神にピリオドが打たれたが、朝鮮半島では、日本の帝国主義、軍国主義の精神が引き継がれ、猛威を振るっていたのだ。法的責任はともかく、このことの道義的責任について日本人である我々はきちんと考えておく必要がある。朴正煕が軍事クーデターで政権をとったとき、朴正煕の写真が印刷された号外を見た日本の政治家は「高木正雄じゃないか?」と安堵の溜め息をついたという(24頁)。高木正雄は、朴正煕の日本名であった。朴正煕の大統領就任式に、日本から派遣された自民党副総裁大野伴陸は「息子の祝い事に駆けつけるようで何より嬉しい」と語ったが、自民党が日本の帝国主義精神を引き継ぐ朴正煕政権の誕生を喜んで後押ししたことは記憶に留めておく必要があるだろう。