547冊目『思想戦 大日本帝国のプロパガンダ』(バラク・クシュナー 明石書店) | 図書礼賛!

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 大学生のとき、保守論客の本を多く読んでいた時期がある。そうした本を読むなかで、彼らが、教科書で扱われる近代以降の日本の歴史観に対して、「自虐史観」などと呼んでいることを知った。さらに、この歪んだ自虐史観は、占領軍による「ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム」によるものだということも、こうした本にはしばしば書かれていた。しかし、大学生の頃の私は、このような発言を聞くたびに、いつも違和感があった。なぜ、当時の愛国心の強いはずの日本人が、敵国の、しかも「鬼畜米英」の戦勝者史観をやすやすと受け入れたのだろうか。物理的な戦闘力での敗北は認めつつも、精神までは相手に平伏しないのが、帝国の臣民の矜持ではないのか。所詮、敵国の言い分に易々と洗脳される程度の、吹けば飛ぶような愛国心だったのだろうか。こうした疑問を抱いていたのだが、彼らの本を読んでも、そうした疑問に答えてくれる箇所はなかった。

 

 バラク・クシュナーの『思想戦』は、そんな私の疑問に明快に答えてくれる本である。この本を読んで積年の疑問が解決した。日本のプロパガンダ政策を専門に扱う本書で、まず強調されていることは、戦争遂行に不可欠な役割を果たしたプロパガンダは、日本においては社会全体が担ったということだ。帝国日本においてプロパガンダ政策を担ったのは情報局であったが、実質的な権力は弱く、広告業界や、演芸人、知識人、市井の民が包括的にプロパガンダにかかわった。ナチスドイツのゲッペルス宣伝部長のような強力な指導者がプロパガンダを牽引するのではなく、社会全体が共謀してプロパガンダを推進したというのが帝国日本の特徴である。しかしながら、東京裁判では、侵略戦争の責任は、ファシスト政治家、軍部のみにあるとされ、民衆の責任は不問にふされた。こうした欺瞞が、戦時下において軍部に抑圧されていた民衆というもうひとつの欺瞞を生むわけだが、こうした欺瞞が、戦時中のプロパガンダが果たしていた機能を見えなくさせていると著者は言う。

 

 プロパガンダとは、「自身が望む行動を促すため、認識を意図的に形作ろうとする試み」(33頁)のことである。あるいは、「偽りを本当だと確定させること」だと言ってもいいかもしれない。興味深いことに、帝国日本のプロパガンダを支えていた論理は、実は、建前上は自民族中心主義ではなかった。大和民族の優秀性なるものが、世界に受け入れてもらえないことくらい、帝国の幹部たちも重々承知していた。彼らのプロパガンダを支えていたのは、近代という普遍性である。法治国家、科学技術、衛生環境といった近代文明こそ、帝国日本のプロパガンダを支えるものであった。その意味で、1940年に開催予定だった東京オリンピックこそ、近代国家としての日本を海外にアピールする絶好の機会であった。勿論、この近代という普遍性のスローガンは、進んだ近代国家である帝国日本が、遅れたアジアの後進国を指導するという夜郎自大な本音を糊塗するものであったのは確かだ。だが、当時の日本が、建前上でも、近代という普遍性を標榜したことには見逃せない意味がある。

 

 近代という普遍性を標榜した日本のプロパガンダは、実は敗戦時においてもっとも効力を発揮した。1945年、玉音放送が流れ、帝国は敗戦した。一部の陸軍が降伏を拒否し、徹底抗戦を呼びかけたが、失敗に終わった。だが、敵国の占領政策は、米国が予想していた以上に成功を収めた。この対照性に日本プロパガンダの本質がある。敗戦を受け入れた日本は、連合国は正しかったというプロパガンダを始めた。警察は、米軍は大規模な殺戮なんかしないと市民に説明し、もし米軍機の航空機が事故に遭遇したら操縦者を助けるようにといい、戦時中にあれほど怖れられた特別高等警察は、米国人に良いイメージをもってもらおうと米国人の気質を説くガイドブックまで作成した。著者のいうように、敗戦時においてもプロパガンダは機能し続けたのだ。しかし、今度は「反米から親米」へのプロパガンダ転換である。このような奇妙な転換が可能だった理由は、プロパガンダが標榜する近代という普遍性の体現者を、日本から米国にすげかえたからである。そういう意味で、降伏直後の鈴木貫太郎首相の演説に、日本の戦争における最大の失敗として科学技術振興を怠ったことを挙げているのは興味深い。つまり、日本が負けたのは近代主義の不徹底であり、米国が勝利したのは、近代性において先んじていたからだという認識である。日本が信じていたのは、実はこの近代性であり、その普遍性が担保されているのであれば、その持ち主は日本だろうが、米国だろうが構わなかったのである。