545冊目『アメリカの世紀と日本』(ケネス・B・パイル 山岡由美訳 みすず書房) | 図書礼賛!

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 真珠湾攻撃を受けた米国は、帝国日本を相手に太平洋で戦うことになった。第26第米国大統領セオドア・ロ―ズヴェルトは、議会演説で、この戦争を聖戦だとし、全面勝利のため最後まで闘い抜くと述べた。この類の戦意高揚演説はどの国の為政者でも勇ましく言うものだが、ローズヴェルトの場合、以下の点で特別だった。すなわち、この対外戦争は、交渉を通じた和平はせず、無条件降伏を勝ち取るまで戦うというものである。米国は、この「無条件降伏」に盲信的なまでに拘泥し、しばしばその戦争過程で理性的判断を欠いた。その挙句が広島・長崎による原子爆弾の投下である。戦争の終末期、日本では一部の政治家(吉田茂など)による終戦工作がなされたが、うまくいかなかった。無条件降伏を要求する米国に降伏すれば、国民の生命財産はもとより、皇室の安泰さえ保障できない。天皇の存在こそ国体であり、これを死守できないのであれば、国土が焦土と化そうとも徹底抗戦するというのが、軍人や政治家から国民まで幅広く共有していた価値観だったからだ。米国の方でも、知日派のグルーを筆頭に、日本がもう降伏したがっているのを見抜いており、いちはやく和平をむすぶべしだという考えを抱いていたが、これも実現しなかった。ローズヴヴェルト、そしてその後を継いだ第27代大統領トルーマンは、あくまで無条件降伏にこだわったからである。米国の無条件降伏が、和平の可能性を閉ざし、結果的に原子爆弾の投下という最悪の結果になってしまった。『ニューヨーク・タイムズ』の軍事記者ハンソン・ボールドウィンは、こう述べている。「無条件政策が、無条件抵抗を招き寄せてしまった。おそらくこれが戦争を長期化させ、人命を損じ、現在の脆弱な平和を招来したのだ」(85頁)そして、米国自身も、結末は無条件降伏でなければならないという使命感から、非人道的な軍事行動に出る。東京大空襲である。B29による爆撃機で約10万人が死んだ。爆撃集団の司令官カーティス・ルメイ少将はこう言っている。「もし、戦争に敗れていたら、私は戦争犯罪人として裁かれていただろう。幸運なことに、われわれは勝者となった」(96頁)。しかし、そもそも、なぜ、米国はこれほどに無条件降伏にこだわったのだろうか。長谷川毅は、米国のマンハッタン計画から原爆投下に至るまでのプロセスを詳細に検討し、米国の原爆投下は、ソ連とのパワーポリティクスにおいて少しでも優位に立とうとする米国の策謀であると述べた(『暗闘』、本ブログ212冊目)。ケネスはそこまでは踏み込まないものの、米国の普遍主義を指摘する。つまり、敵国の枢軸国は、自由を抑圧するファシズム政権であり、その政治体制を破壊し、民主的かつ平和的な体制に作り替えねばならないというものである。米国はこの使命感に燃えていた。「米国は日本に平和への道を歩ませようと、歴史も慣習もまるで異なる人々に自国の文明から生まれた制度を強制した。占領軍の構想は米国の歴史の絶対的な美点と意義に対する信頼、そして米国こそが人類社会の進歩と不可分な理想や価値観の象徴であるとの信念に裏打ちされていた」(133頁)。この使命を叶えるためにも無条件降伏が必要だし、原爆投下もやむをえなかったというのが米国の判断である。

 

 それでは、米国のこの信念は、日本の占領後にどのように反映していったのだろうか。GHQ司令官マッカーサーは、日本から軍国主義要素を一掃し、平和国家へと変化せしめるために矢継ぎ早に改革を行った。なかでも特記すべきなのは憲法で、日本という国の文化も慣習も歴史もよく知らない役人がわずか数日で仕上げた。そして、その日本国憲法は今に至るまで改正されていない。日本国憲法でも、とりわけ特筆すべきなのは、憲法九条である。九条の条文をめぐる解釈は侃々諤々の議論があるが、マッカーサーとしては自衛の手段としてすら武力を放棄することを目指していた。米国の憲法にさえ明記されないこの条項を盛り込むことは、日本は無条件降伏なのだから何をしてもよいというマッカーサーの傲慢があった。これについて、テッド・コーエンはこう述べる。「米国がこれほど壮大な構想の実施を他国で、それどころか自国においてさえ試みたことはなかった。当時を顧みると、米国の厚顔ぶりに身震いが出る。(中略)極めて深遠で複雑な社会、主要国の中で間違いなく最も知られざる社会の内部機能を細部まで最構築する仕事を米国に任せる。しかもそれを担った集団の中に、日本の歴史や言語をわずかでも知っている者がほとんどいないというのは、まさに笑止千万だった。」(134頁)。笑止千万だったのは、憲法だけでない。マッカーサーは、日本人の精神面での改革を起こすために、米国人のキリスト教宣教師を占領下の日本にいちはやく派遣した。宣教師は、医療や交通、生活用品などの特権を占領軍並に与えられ、神道的価値を内面化する日本人の改宗をめざした。ケナンは述べる。「日本政府に神社への支援の打ち切りを命じ、政教分離規定を新憲法に盛り込みながら、宣教師を庇護する根本的矛盾に、SCAPは無頓着だった」(344頁)。日本の民主化は、占領下ということもあり、日本人の主体的な達成というよりは、米国による強制によって行われた。『ニューヨーク・タイムズ』は、「民主原則を日本の命令」と皮肉交じりの見出しをつけた。米国は、普遍的価値を体現した戦勝国が、野蛮な敗戦国を教え導く構図を信じていたが、第五福竜丸事件や、ジラード事件などにより、日本人もまた米国が普遍的な価値を体現している国とは思わなくなっていた。そして、占領軍自身も、朝鮮戦争の勃発により、日本の占領目的を平和国家から共産主義の防波堤へシフトし、位置づけを代えた。サンフランシスコ講和条約で日本が独立を取り戻したまさにその日に、世界の監視の目を避けて、相互安全保障条約、行政協定に調印し、米軍駐留継続の根拠とした。これは、ダレス国務長官の言葉を借りると、「占領の継続でしかなった。」

 

 東アジアにおける米国主導の安全保障秩序は、東アジアの国々から、米国は新たな帝国主義ではないかと批判の目を向けられることとなった。興味深いのは、米国がこうした東アジアから目線を意識しながら、自己像を変容させてきたことである。邦訳はないが、クリスティーナ・クラインの『冷戦オリエンタリズム』は、アジアとの関係性において自己像の輪郭を捉え直していく米国の姿を詳しく追っている。クラインによれば、米国がグローバル権力をもつにつれて、勝ち気な強大な国として誇示するのではなく、人種や文化の違いを乗り越え、連帯し、平和を愛し、かつ、人道的に振舞う国としての自己像を確立した。しかし、これは、サイードのオリエンタリズムが結局は、西洋の優位の裏返しでしかなかったように、米国の「冷戦オリエンタリズム」も、アジアの非共産主義の統合のためのイデオロギーにすぎず、パクス・アメリカーナに根拠を与えるものだった(252頁)。そうしたアメリカ優位の東アジア秩序の構築に対して、強かな戦略を見せたのが吉田茂である。吉田茂は、戦後日本の構想として、(1)経済復興最優先、(2)軍事の関与を限定、(3)(2)の代替として米軍基地提供の三原則を打ち立てた(吉田ドクトリン)。安全保障を米国に丸投げにし、経済成長だけに邁進するこの戦略は、吉田のあとを継いだ池田勇人の所得倍増計画で決定的となり、戦後から今に至るまでの日本政治の原則となった。共産圏封じ込めのために日本にも軍事貢献を求める米国に対して、吉田は「再軍備は日本を窮乏化させ、共産主義者が望むような社会不安を生み出すことになる」と主張し、と巧みに切り抜けた。興味深いのは、吉田が日本社会党と結託して、ダレス国務長官来日時に合わせて再軍備反対デモをやらせていることだ。このずる賢さによって、冷戦という難題をうまく避けてきたのだ。吉田は戦後、側近の部下に「戦争に負けても外交に勝った歴史はある」といったそうで、戦争は外交の延長であると言ったクラウゼヴィッツ(『戦争論』)の考えを根本から覆すものだが、これは吉田の方が正しかったと言わざるを得ない。佐藤栄作の非核三原則もこうした吉田ドクトリンの延長にある。憲法九条、非核三原則、平和国家日本というイメージは、米国からの圧力を食らわずにすませる妙案として、狡猾な外交戦略であった。こうした日本外交は、国内ではむしろ肯定的に評価された。臆病外交と言われようと世界の戦争から超然とその圏外に立つことが懸命だと述べる評論家もいたし、日本は経済的利益を良好に保つことが大事で、「無原則外交」が良いと主張すること外相もいた。そして、あげくには、宮澤喜一の「一切の価値判断をしない外交」発言にまで至る(274頁)。こうした倫理的にはいかがと思える外交原則で、日本は未曾有の高度成長を達成し、ハーバード大のエズラ・ヴォーゲルが「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と称するまでになった。

 

 しかし、経済大国としての自信とは裏腹に、軍事面で米国に依存する構造は、一部の右派を満足させるものではなかった。1970年に三島由紀夫が、自衛隊市ヶ谷駐屯地に行き、日本人の腐敗した精神を復活させるために決起を促し、その後、割腹自殺をした。三島の行動は、衝撃をもって受け止められたが、政治家も市政の民も対米従属の構造を変えようとまでとは思わなかった。価値判断を括弧にくくり、経済的利益だけを求める日本の外交戦略はもう限界に来ているだろう。あれほど、普遍的価値の体現者を誇っていた米国も世界の警察であることをやめ、自国内に閉じこもろうとしている。アメリカン・ファーストを唱えるトランプ元大統領が誕生したのはその象徴だ。これまで米国との緊密な関係を作り上げることが日本の安全保障の最良の選択だとしてきた保守はいま、立場の見直しを求められている。一方で、左派も時代遅れの非武装中立を唱えるわけにもいかず、かといって中国の覇権主義に無警戒でいるわけにもいかず、といった右派以上の立場の悪さがある。私は個人的にNATOに入ればいいと思うのだが、どうだろうか。ソ連が崩壊し、ワルシャワ条約機構という対の片方がなくなった今、NATOは西側の価値を共有する安全保障機構いうよりも、ひとつの平和秩序体制として機能している。NATOが旧東欧諸国を取り込んでいったのもその象徴だろう。微妙な舵取りを求められるなか、安倍元首相は日米同盟のより一層の強化を目指した。経済的にも軍事的にも力をつけた新たな中国の台頭については、中国の権威主義的な性格と対照的に、民主主義・人権を打ち出した価値観外交を打ち出した。この外交手法にいささか胡散臭さが伴うのは、米軍基地を押し付けている沖縄やヘイトスピーチの野放しといった国内マイノリティへの問題対処の整合性のなさに加え、それまで「一切の価値判断をしない外交」からの節操のない変節を感じてしまうからだ。歴代長期政権となった安倍元首相は、戦後レジームからの脱却を謳い、自著『美しい国』では「日本を取り戻す」と述べ、悠久の歴史を持つ日本的価値に根付いた共同体的価値軸の復活を試みたが、歴代自民政権が、価値の空洞化を作ってきた政治構造を清算してはいない。逆に、政治の停滞は朝日新聞やリベラル知識人による執拗な保守伝統の攻撃によるものと見ている。一方で、左派陣営も憲法九条が、沖縄の米軍基地駐留を招いていることを知ってか知らずか、この冷戦の遺産をそのままにしている。個人的に憲法九条を変えるのは賛成なのだが、憲法に国民の義務を明記するべきだという、憲法の基本原理も知らない自民党政権に改正させることは、ほぼ間違いなく改悪になるだろうと思っている。吉田ドクトリンの経済一直線は、利益だけを価値とする単細胞思考が、政治家にも国民にも浸透することになった。民主主義の成熟には国民の質も関わってくるが、われわれ一般人が民主主義社会の構築・維持に向けて不断の努力をしているかと言われれば、なかなか首を縦に振れない。政治は価値に関わることなので極力触れないというのが戦後日本のマナーであるから、お笑い芸人が時局を風刺することも、権力の横暴を描く映画も日本ではみられない。こうした日本人の心性は、戦後においてゆっくりと、そして確実に形成されてきた桎梏のようなものである。日本には日本なりの民主主義があるという土着思考に開き直って事態は解決しない。グローバル化時代は、一般に思われているのとは逆に、価値観の平均化ではなく、確固とした価値観を求められるようになった。今後の舵取りを真剣に考えるときが来ている。

 

【本書の目次】

第一章      二つの新興国

第二章      無条件降伏政策

第三章      原爆使用の決定

第四章      米国人の手になる革命

第五章      日本の従属

第六章      日本人の魂を賭けて

第七章      奇妙な同盟

第八章      競合する資本主義

第九章      欧米モデルに収まらない日本社会

第十章      日本の民主主義

第十一章 暮れゆく米国の世紀と日本