520冊目『推し、燃ゆ』(宇佐美りん 河出書房新社) | 図書礼賛!

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死ぬまでに1万冊の書評をめざす。たぶん、無理。

 

 

 第164回芥川賞受賞作。21歳での同賞受賞は、三番目の若さだ(綿矢りさ19歳、金原ひとみ20歳)。10代~20代を中心に共感を得やすい「推し」を扱った作品である。「推し」とは、ひと昔の言葉でいえば、オタクと呼ばれたものだろう。アイドルや二次元のアニメキャラ、フィギュアに熱中して、対象に異常なほど傾倒し、それによって身が破滅することも厭わない。周囲から見れば常軌を逸しているが、「推し」を推す本人の熱意は真剣そのものだ。

 

 ひと昔前なら、こうした市場の商品でしかないものに己れの人生を捧げんばかりのオタク的振舞いは、いまだ幼児性から抜けきれぬものとして軽蔑の対象ともなったものである。しかし、今や、「推し」という言葉は、オタクにひっついていた悪趣味的なイメージを完全に脱色し、若者の生の在り方を特徴づけるものとなった。また、現在では趣味が多様化し、程度の差はあれ、誰もが推し的存在を持っている。「推し」という言葉は市民権を獲得するまでになった。

 

 何らかの愛でる対象をもつことは、人生に生きがいも生まれるし、精神衛生上にも良いだろう。ただし、何でもそうだが、これは程度問題である。主人公の女子高生あかりが、推しに捧げる愛情は狂気そのものだ。バイト代は全て推しのために使い、学校の勉強はできないが、推しにまつわる情報ならどんなものでも諳んじるまでに知っている。そして、あげくの果てには学校まで辞める始末だ。推しを追っかけているあまり、身の破滅を招いている。もちろん、そのことを推しは知るはずもない。

 

 『推し、燃ゆ』は、発達障害とおぼしき女子高生の内面でうごめく「推し」を愛でる感情にユーモアな輪郭を与えた作品だ。現代の世相の切り取り方が絶妙だし、内面の描き方も面白かった。とはいえ、歴代の芥川賞と比べて文芸的に何かを達成した作品とはとくに思わなかった。ところで、私の人生において、「推し」と呼べるような存在はいただろうか。好きな女性タレントはいるけど、出身地や年齢なんて調べたこともない。「好き」を貫くことは、金銭的にも気力的にもとんでもない覚悟がいる。そういえば、高校生のとき、友人と一緒にタレントの夏帆にファンレターを書いたことがあったが、今に至るまで返事はない。