408冊目『戦後補償裁判』(栗原俊雄 NHK出版) | 図書礼賛!

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 帝国日本の敗戦後、新しく生まれ変わった日本政府は、帝国日本の負の遺産をどう処理するのかという難題を抱えていた。いわゆる戦後処理問題である。敗戦時、外地には、600万以上の日本人が住んでいた。彼らが現地で築いた財産は敗戦とともに跡形もなく消え去った。一体、彼らの財産はどうなるのか。そして、東京大空襲による民間人の尋常ならざる被害や未だ祖国に帰れないシベリア抑留者の存在はどうなるのか。国は彼らに対して、どのような責任を取ったのだろうか。

 

 日本国政府の戦後処理の方針は一貫として「補償をしない」ということであった。政府の言い分としてはこうだ。戦争という非常事態では、あらゆる人が何かしら犠牲となっている。いわば、皆被害者なのであって、特定の人だけを救済するわけにはいかない。国民は等しく戦争で被った損失を耐えなければならない。これは、「戦争被害受忍論」と呼ばれる。日本の戦後処理をめぐる言説は、この「受忍論」に対して司法や行政がお墨付きを与え、戦後補償を求める民間人の声を抑圧してきた歴史である。

 

 国民等しく戦争の惨禍を耐えなければならないという受忍論は、そもそもが破綻している。なぜなら、日本は戦傷病者戦没者遺族等援護法(1952年制定)によって軍人・軍属に関しては戦後補償を行ってきたからだ。「国民等しく耐えるべき」と受忍論を振りまきながら、軍人・軍属には手厚い補償を施し、民間の戦争被害についてはいかなる補償もしないというのは差別という誹りを免れない。原爆の被害者は例外的存在だが、しかし、それでさえ当初は、健康診断を年に二回受診できること、及び症状のある場合のみ治療が可能(原爆医療法、1957年)という極めて限定的なものだった。

 

 軍人・軍属は国家との雇用関係にあるため、補償の点において民間人と区別しても構わないという見方もあるかもしれない。しかし、イギリスもドイツもフランスもイタリアも戦争被害の補償という点で、程度の差はあっても軍人・軍属と民間人の区別はしない、国民平等が原則である。帝国日本ですら民間人の戦争被害を補償する戦時災害保護法(1942年)を制定したのに対し、日本国政府は、戦後、民間人の戦争被害を補償する法整備を常に放棄し続けてきた。戦後補償の在り方はその国の形をはっきりと示すものかもしれない。国が何をしてくれたかではなく、国は何をしてこなかったのかにこそ、本当の国家の姿が表れると思う。