古びた神社の境内に、現れたのは、幼馴染みのたけだった。
さくとたけは同じ寺子屋で手習いをしていた。
たけも、けして口が達者な方ではなく、おとなしげで口数の少ない少年だった。
積極的に異性と話す事のできないさくは、成長した今でも、たけとなら
、気負わず、自然体で話すことがでした。
それは、たけも同様だった。
『さく、今日は一人なのか』
『猫と遊んでた。今日は先に皆、先に帰ってしまったの』
『なんだ、気を使わせてしまった。またの日でも、構わなかったのに』
『勘違いしてるのよ、みんな』
ふふ、とさくが笑うと、たけもはは、と屈託のない笑顔を返した。
素朴な表情には、何の含みもなかった。
近所の女友達も誤解している。
さくとたけは、けして恋愛というもので、思い合う関係ではない。
年頃の娘には似つかわしくない、もっと子どもじみた、とても拙いものである。
たけの飾り気のない、人柄が、そのままにしておかせて、くれるのだろう。
さくは、細い木の枝を手に取った。
『今日は何を習いたい?』
『そうだな。動物の名前の言葉から、知りたい』
たけに請われるがままに、さくは地面に文字を書いていった。
鳥、猫、犬、牛、馬と、書き出していく。
たけも、拙いながら、一生懸命に真似ていく。
たけは、物覚えこそ、わるくはないが、読み書きの内でも、書くことがからきしダメだった。
書くことのみが、できないのである。
口頭では、答えられるのに。
どんなに頑張っても、人並みに文字を書けない。
覚えても、すぐ忘れてしまうのである。
寺子屋時代でも、よく面倒をみていたのは、さくだった。
もう手習いなど必要ない年になっても、そういった縁もあって、時折たけはさくに、教えを請うのである。
ままごと遊びの先生役を、さくも楽しむようになっていった。
『たけちゃんは、本当に勉強熱心ね。何でそんなに、字を学びたいの?』
『俺には難しくて、よく分からないが、字というものの形が、好きなんだ。俺は頭がよくないから、すぐに忘れてしまうけれど、一つでも多く覚えていたいんだ』
『どうして、そんなに好きなの•••?』
『学んだものがあると思うと、何故か安心するんだ。これから役に立つことはないが、知っていると思うと安心するんだ』
木霊のように帰ってくる答えは、飽くほどに、繰り返したやり取りだった。
たけの言葉は、さく自身に帰ってくる木霊だった。
今こうして、たけに教えることのできる自分だが、教養があったところで、役に立つ日が来るのだろうか。
畑仕事に家事手伝い、裁縫などに費やす日々で、やがて同じ仕事をこなす場所へ、移っていくのだろう。
ささやかな教養を、沈んだ水底からすくい出して、せめてものの慰めを与えられているのは、さくの方であった。
あまり上達のみえない学習能力の、たけであったが、好奇に目を輝かせている姿は、出来が良くても、とうに諦めてしまった人間より、余程生き生きとして見えた。
『日暮れに間に合うように、帰ろう。途中まで送っていく』
物思いにふけっていたさくは、たけの声で目を覚ました。
橙色に染まる景色の中で、二人で帰り道を歩く。
無邪気な子供たちの声が聞こえてきた。
さえずるような声で、囃すように、歌が響く。
『鬼さん、こちら、手の鳴る方へ』
『鬼さん、こちら、手の鳴る方へ』
目隠しした子を、惑わすように、誘うように、他の子たちが、囲みこむ。
本来なら、微笑ましい光景だが、さくは素直にそう思う気持ちになれなかった。
たけの眼差しも、陰っているように見えた。
『そういえば、たけちゃん。最近、顔色が良くなったね。夏の忙しさのせいで、とても痩せてしまったでしょう。私、少し嬉しいの』
『••••••••••』
『どうしたの』
たけは、唇を噛むような仕草をみせる。
一体、どうしたのだろう。
さくは心配になった。
『いや、なんでもない。ありがとう。さくが喜んでくれるなら、良かった』
どこか遠くを見ているような胡乱な瞳で、たけが呟いた。
遠くで、子供たちのはしゃぎ声が、木霊していた。
つづく