今回は誰しも一度は考えたことがあるであろう”死”というテーマですが、いざ自分が

「死ぬまでにしておきたいこと」

は何だろうと考えると、意外に文章にするのは難しいものだと気付かされました。



自分を裏切らずに生きる。自分を安売りして生きる。いわゆる”恩”や”義”を忘れずに生きるetc.

僕はどちらかというと”生き方”の方へ考えが向かうことが多いようで、死から逆算した明確な夢や目標などになると途端に行き詰ってしまいました。

そんな中で自分なりに色々と考えてみた結果、次のような言葉に落ち着きました。


世界の良心になる


実は前にも使ったことのある言葉で、こうして改めて書いてもおかしな感じです。
かなり曖昧な気はしますが、自分には結構しっくりくるのでこの言葉を選ばせていただきました。


極めて簡潔にまとめてしまえば、

心から信用してもらえる人間になる

というのが分かりやすいのですが、ちょっと捻くれた文章を書こうと思います。



この世界には”仕方のないこと”が多すぎる。

僕が小さなときから思い続けてきたことです。

例を挙げるとなると幼い頃の両親の離婚が真っ先に浮かぶわけですが、これも昨今の世の中では”よくあること”や”仕方のないこと”と受け止められがちなことだと思います。

実際問題その通りなので”仕方ない”のですが、小さい頃の僕にはどうしようもなかったのです。


人にはそれぞれこういった経験が少なからずあると思います。
そんな”仕方のないこと”に対応するために、自然と力を抜いた生き方を覚えていくのではないでしょうか。
理不尽云々を抜かして考えても、一歩引いた場所で生きる方が楽だし、賢いのは間違いないと思います。

しかしそれは一種の”諦め”を前提とした生き方になっている、そんな気がしてしまいます。

我ながら子どもだと思いますが、そんな世の中だからこそ、せめて自分くらいは人や物事に100%の力で接していきたいと思うわけであります。

何か相談されれば本気で考えて、頼まれごとをしたら本気でやる。

簡単そうにも思えますが、これができている人が一体どれだけいるでしょうか。

そして他人のために本気になれない人に対して、「こんなもんか」「仕方ないか」とため息をついて諦めている人は少なくないのではないでしょうか。

成果を出す云々はまた別の話になってしまいますが、まず捨て身で他人のために動けるかということが重要だと思います。




「何だか色々と納得できないことばかりの世の中だけど、こいつはそういうこと一切合切抜きで信じられる。何でも話せるし、信頼して頼みごとができるなあ」

というようにでも思ってもらえたら。

そういった意味での、「世界の良心」です。
おはようございます。
前回の読書会は私情により欠席してしまい、すみませんでした。

自分が死ぬまでにしたいことは様々あるのですが、その中でもより壮大のものを2つここでは書きたいと思います。

一つ目は、「最高のエンターテイナーになる」ことです。

これは最近よく自分が言っていることなのですが、人生の野望です。自分が言ったことや表現したもの、自分が作ったものなど、何か自分が生み出したもので本当に多くの人を感動させたいと思っています。

これは自分が人を喜ばせたいという気持ちから生まれたもので、自分から生まれた何かが、知り合いだけでなく、自分の知らない人も感動して幸せになってくれれば最高だなぁと思いますが、自分の周りの人にとって自分が誰よりもエンターテイナーであるならばそれで僕は幸せです。


二つ目は、「自分が関わった多くの人を巻き込んで日本または世界を良くする」ことです。

やはり生まれてきた限りは世界をよくするための功績を残したいという気持ちは少なからずあります。
自分は今までいろんな人と関わってきて、これからもさらにいろいろな人と関わっていくことになると思います。
そしてその友人たちは日本のトップに行くような人が多いかもしれません。その多くの人たちを巻き込んで、何か日本や世界をよくするためのことが出来れば最高かなーと思います。

これらはどちらも僕の人生の野望で、まだ内容は詰まってないのですが、漠然と思い続けています。
ランディ・パウシュ「最後の授業」を読み、
自分が彼の立場であり悔いが残らないことがあるとすれば、それは、
「人生の目標を定め、それに向かってひたむきに生きてきたこと」
「自分の妻や子供に最大限の愛情を注いできたこと」
の2点だと強く思う。

その理由を、自分が死ぬまでにしたいことを踏まえて以下に述べる。

私の死ぬまでにしたいことは大きく分けて2点ある。
①「自分のお世話になった人に恩返しをしたい」
②「自分の存在を後世に受け継がせたい」
であり、以下それぞれの理由と達成方法を述べる。

①「自分のお世話になった人に恩返しをしたい」
●理由
「多くの人にお世話になり今の自分があるが、その受けた恩に見合う価値を未だ提供できていないと考えるため」
<そう考える理由>
・自分がお世話になった人に提供できる価値をすべて持っているわけではない。
・お世話になった人すべてに価値を提供する手段を持っていない。
    
●今後の達成方法
「お世話になった人全てが必要とするものを提供する」
<具体的にどうすべきか>
「日本の社会に大きなインパクトを与える事業に携わる、創り出す」
⇒「人生の目標」である。


②「自分の存在を後世に受け継がせたい」
●理由
「友人の突然の死に直面、当時はあまりにショックであった一方で、死後経過するにつれて自分や周りの人間の中から彼の存在が希薄化していくことがさらに悲しいため」
<なぜ希薄化していくのか>
 「彼が存在したことを示すものが限定的。(記憶・遺品・彼の家族)」
<なぜ彼が存在したことを示すものが限定的なのか>  
・彼が存在したことを後世に示す準備をする時間が彼にはなかった。
・彼の遺志を受け継ぐ人が限定的。

●達成方法
「死が訪れることを常に意識し、自分の遺志を受け継ぐ人を増やす。」
<具体的にどうすべきか>
「家族や子孫に自分の遺志を受け継がせる努力をする」
⇒「自分の家族や子供に最大限の愛情を注ぐこと」である。


以上2点の自分が死ぬまでにしたいことは、
「人生の目標に向かってひたむきに生きること」
「自分の家族や子供に最大限の愛情を注ぐこと」
につながる。
だからこそ、
自分がパウシュの立場であれば、
彼が死ぬまでに行ってきたこの2点に対して悔いはない。

江頭 勇人
今回初めて読書会に参加させていただきます。

今井です、どうぞよろしく!

今回の課題は、書籍と動画の両方を見たのですが、特に動画はメッセージに圧倒されるような感覚がありました。

さて、僕が死ぬまでにやりたいことについて。
ランディの著作のなかには、他人の夢をかなえるといったこともでてきたのですが、今回は完全に自分本位で語らせてもらいます。

日本にもう一度ワールドカップを招致する(単独開催)

というものです。
両方ともサッカーくくりですが(笑)、今現在、僕がもっとも強く心に思っている事案です。


【なぜ(社会ベース)】
 2010ワールドカップが行われましたが、盛り上がらない大会といわれていた中、普段は評論家気質の日本人が、国全体でスポーツの祭典を楽しんでいました。僕自身、今の日本には社会のセーフティーネットとしての「ソーシャルネットワーク」と「国際交流」が最も必要であると考えています。そのためには、

a)自国を誇りに思えること
b)海外の人とフランクに接すること
c)「村社会的な」ひがみ根性をなくすこと

が重要であると思うのです。

 なぜことさらワールドカップ開催を押すのかというと、東京都が現在招致しようとしているオリンピックよりも、いい意味でナショナルな側面が弱く、自国を応援しながらも世界を応援する姿勢が両立しやすいからです。1番経済、社会的に健全に実施できるスポーツイベントです。

【なぜ(個人ベース)】
 完全に、僕がサッカーが好きだからです(笑)この辺りはやはり父親の影響が大きいです。幼少期から、スタジアムで父親と一緒にサッカーを見るのが一番の楽しみでした。ここの理由に関しては完全にエモ―ショナルなもので、3歳くらいから、形は違えど、まったくぶれていない夢なので、思い入れが強いです。中学のときに、一回韓国との共同開催がありましたが、一生にあと一回は自国のスタジアムで、死ぬほどワールドカップが見たいです。

 もうひとつ、本の中に「子どもの頃のスポーツの体験は間接的に他の経験になる」というたぐいのことが書かれていましたが、僕はそれだけではないと思います。ランディ自身、ボールで手遊びをしている時が一番いいアイデアが思い浮かぶと書いているように、子どもの頃に関わったスポーツとは、一生の関係を結ぶことができます。それを通して友人ができたりというように、僕自身サッカーに助けられた場面が多くあるのが事実であり、サッカーが日本でもっと広まっていってほしいという願いもあります。

【実現方法】
1.現在やっていること
・団体での国への署名活動
・mixiのコミュニティでの呼びかけ
 
2.これからすること
・広告業界に入って、プロジェクトを提案する?
・Numberなどの雑誌業界の人に話を聞いてみる?

以上、俺が達成しなけりゃ誰がやるんだというくらいのモチベーションで頑張っていきたいです!


お世話になっております、福岡です。

インターンも終了し、後は学校のテストを上手く乗りきれば、海外に2ヶ月強旅立ちます。
そんなタイミングで本書に出会い、パウシュ教授の講義を動画で確認できたのは、本当に運がいいな僕は、と思いました。

僕が死ぬまでにしたいことはいっぱいあります。が、中でも思いが強い事を2つあげたいと思います。

1、日本のためになる
2、出来るだけ多くの人に自分を覚えていてもらう

です。

1、日本のためになる
僕は就職活動を通じて、自己分析なるものをおこなっていました。その際、様々に考える事がありました。
自分がそうだと思っていた事、意外と気づかなかった事と色々ありました。
中でも一番驚いたのが、自分の中にあった「日本への忠誠心」でした。そのルーツは中学、高校時代にあると自分では考えています。


僕は中学、高校と桐蔭学園という高校にいました。とてもたくさんの人数がいる学校で、割と国際的な関わりも多い学校でした。それはそれは良く考えてみるととても運が良かったなと思っています。

僕はソフトテニス部に所属し、無数にある部活の中でも「1番きつい」と有名な部活に運よく(運悪く?)入部していました。振り返ると規律、チームワークなどを「頭のフェイント」で学べた、一番の環境でした。

ある時、ドイツと韓国から提携校の学生がやってくることになりました。しかも、ソフトテニス部の学生がやってくるというのです。僕は、いつの試合になく燃え上がるものをかんじました。「ソフトテニスという日本生まれのスポーツで負けるわけにいかねぇぞ」というのが本音でした。

なぜそう考えたのか???今振り返ると、こんな楽しいソフトテニスというスポーツを提供してくれた日本に対して僕は恩を感じていて、それに対して何か応えないといけないという気持ちがあり、日本生まれのスポーツで負けるわけにいかない、と考えてたように思います。(なんか変なロジックですが)

以上のように、もう中学生くらいの時から自然と「日本のため」ということが僕にとって大きな意味をしめしていました。他にも色々そういった場面があったのですが、それは読書会の際にします。
今でも、健やかに育つ事が出来た環境を与えてくれた日本という国に僕は恩を感じています。手段はどうあれ、それに報いる事をしぬまでにしたいです。

2、出来るだけ多くの人に自分を覚えていてもらう
僕は自分が死ぬときに1番気にする事はなんだろう、と考えました。これは小学生くらいの時から考えていた事ですが、「自分が忘れられる事」が僕にとって本当に悲しい事だなとおもっています。

おぼろげではありますが、僕は幼稚園のころ、遠足で場所を移動する際に、どこかに置いてかれた記憶があります。その時に悲しかった記憶が潜在意識に残っているのかもしれません。

自分という存在がいたんだよという事を残す事―それは沢山の方法があります。何か栄誉ある実績を残す事、子供を作る事、後続を教育して価値観を伝えるなどなど。
そこで、僕は出来るだけ多くの人に自分を覚えていてもらう事が出来れば幸せだなと思いました。家族、友人とより多くの人から必要とされる事が僕の幸せに繋がります。なぜならより多くの人たちの記憶に残る事で、自分のアイデンティティを感じられるからです。

こちらも詳しい手段が決まっていませんが、死ぬまでに達成出来ると嬉しいなと思っています。

以上になります、煩雑な文章ですいません。

福岡
企画とは、相手がより良い状態になるために、適切な課題設定を行い、対話を繰り返すことで解決策を模索していくこと。
両書を読み、そのように解釈した。

傑出したアイディアマンになる必要はない。
一般的な「企画」という単語に対する認識から一線を画している点がこの本の一つの付加価値だと思う。
そのように考えれば、ごく普通の人間でも相手の事を真剣に考えさえすれば色々と「企画」のアイディアは出てくるはずだ。

しかしながら、「適切な課題設定を行う」というのが当たり前のように聞こえて、意外と難しい。
目の前で取り組んでいる「課題」が先入観や常識、あるいは偏った情報に基づいたものであることが意外と多い。
私が今こう考えているのは勝手な先入観に捉われているからではないか?
マクロに捉えた時、長期的に考えた時にもその課題が最重要課題と言えるのか?
どの程度マクロに考えるべきか?
どの程度の時間軸で考えるべきか?
それは何故か?
そのように自問自答をし、課題の本質に迫っていくことが求められる。
そして、このセンスを高めるには経験を重ねるしかないとも思う。
(だからこそ、日々小さいことでも企画をし、実行、反省のサイクルを繰り返していくのが重要なのだ!)

また、最終的に相手との対話の中で解決策が生み出されていくということを考えると、心、教養、信頼が重要という主張には非常に共感できる。
今後のキャリア・人生においては、心であったり、教養といった人間性そのものに関わる部分をより高めていきたい。
お世話になっております、福岡です。

本当にブログの更新が最近ギリギリです。今回ファシリテーターを務めるのですが、やり遂げられるか心配になってきました。。

小言はともかく本の感想です。



【企画力の定義の差】
虎の巻を読んでは、【企画力】の意味を自分の中で言語化できました。

現在、メディウィルでインターンをしているのですが、今後のメディウィルの方針として社長がよくおっしゃっているのは、「企画会社になる」ということです。
正直、僕はどういうことかよく分かっていませんでした。それは、企画の定義に大きな差があったからだと当書を通じて感じました。

企画を僕は「program」だと認識していました。テレビの番組であるとかそういった内容のものをどう考えるかと思い込んでいました。

しかし、社長がおっしゃっていたのは、「inventiveness」だったんだろうと思いました。「invent」はご存知の通り、「発明する」といった意味で、「inventiveness」とは「発明力」とでも訳したほうがいいのかもしれません。
発明は理系にしか出来ない事だと思っていたのですが、本当の「発明」というのは形あるものである必要はないんだなと感じました。

「inventiveness」を開発するために、重要な要素が書かれていたのが、御立さんの本でした。内容はご存知の通り非常に分かりやすかったです。

「使う力」の大切さ、「教養」の大切さといった様々な側面から書かれている本で、もうなにもつっこみどころがありません。
であるがゆえに、実はあんまり記憶に残りませんでしたwww今の僕にはまだ難しい本なのかもしれません。。。

また企画プレゼン前までにもう一度読み込んでみようとおもいます。

それでは

福岡
僕はこの本を提案した企画者なので、この本がどうこうということより、僕が考える「企画のできる人」を考えてみたいと思います。


1.エンターテイナー

そもそも、企画とは誰かに喜んでもらいたいという「良い心」から生まれるものです。企画が浮かんできた時にどんな人達がどのように喜んでいるかが鮮明に描ければ、その時点で最初のステップは超えているでしょう。
人の役に立つこと、喜んでもらうことに喜びを感じる人はそもそも企画人間にむいてますね。

2.あらゆる経験が豊富

企画とは、ある意味ジグソーパズルのようなものだと思います。全く違う事象を融合させる、組み合わせることで新しいものにしていくという発想です。「点」と「点」がある時「線」になり「面」になっていく流れです。
そのためには、一見何の役に立つのか分からない経験でも、引き出しの多い人の方が「企画のできる潜在力のある人」になります。


3.細部にこだわる

大枠の企画案は出せても、実際に落とし込め無い人、詰めが甘い人が多くいます。細部にこだわれる人とは、その企画をすることで恩恵を受ける人の導線のすべてのパターンを事前に想定できる人を言います。考えられることを出しつくして、その対策を準備しておくことでようやく大枠の企画が動き出します。せっかくの良い企画も、細部の詰めが甘いことで台無しになってしまいます。


4.最後までやり抜く

何事においても同じですが、最後までやることで企画を実現する楽しさ、達成感、爽快感を仲間と共有できます。そして、次回やる時にはどのようにしたらより良い企画を生み出せるのかを反省でき、改善できます。
こうしたサイクルを何回も経験してきた人は、どのような場に行っても「企画のできる人」になるのではないでしょうか。


具体的なエピソード等はまた当日まじえて話したいと思います。

城間





<使う力>
読後強く思うことは大きく分けて2つある。

1つ目のキーワードは「因数分解」である。

本書の内容そのものはまさに自分に足りないものばかりで非常にためになる内容ばかりだが、
それ以上に本書が説得力のある構成になっていることに非常に強い関心を持った。
一見具体化しにくいようなものを、
数値化あるいは納得でき理解できるような段階まで細分化し、
その1つ1つが比較され分析されていることで理解が促進された。

三木谷さんの著書にも因数分解の重要性は語られていたが、
本書はその重要性を言葉ではなく本自体で体現しているような感覚を持った。
自分はまだ議論や説得に未熟で、
最後は感情的な部分に頼ってしまうが、
相手が誰にせよ論理的に納得できるような
説明や主張、そして促進(指導力やモチベーション喚起力)が必要であると改めて強く感じた。

そして2つ目のキーワードは「リーダー」である。

リーダーとは何かという疑問に答えはないだろうが、
多くの人が考えるリーダー像には共通性があるように思われる。
そしてその共通項こそ自分に最も足りないものだと強く感じている。
リーダーでなくとも、
リーダーの気持ちを理解することは重要であるし、
リーダーを理解してはじめて自分の立場が理解できると考えている。

<虎の巻>
「企画」ときくとなぜかわくわくした。
しかしそれは本当の意味で「企画」ではなかったからだと本書と通じて痛感した。

今までは自分の望むことを形にすることが「企画」だと考えていた。
だからこそ「企画」の内容は独りよがりであったし、
成果も自分の基準で成功か失敗かを判断していた。

学生の内はお金や利益が絡むことが少ないからそれでもやっていけるかもしれないが、
それでは社会やビジネスの世界で通用しない。
だからこそ人の理解を超えた企画でなければならないし、
仕組化・規格化が必要となると思う。

この視点を踏まえて企画するとすれば、
単純にわくわくするものではなく、
深い思考と入念な準備に想像以上の困難があると思うが、
それこそが本当の意味でわくわくすることにつながるように思う。

江頭
「企画の虎の巻」の帯にも書かれている、

”企画人間でなくては生き残れない”

という内容は、城間社長からお聞きしたお話も鮮明に記憶されています。



確かにITの発展に伴う効率化や、中国など人件費が安い労働者が雇えるという背景を踏まえると、単に与えられた仕事をこなせるというだけではパワー不足であることは明らかです。


やはりこれからの時代は、

・仕事の効率化や、障害のクリアを個人の単位で考え、行うことができる”問題発見・解決力

・ゼロから何かを作り出せる”企画力

といった能力が今まで以上に求められているということだと思います。




今回は”企画力”に焦点が当たっているわけですが、自分はというと企画を考えるという段階でも、それを伝えるという段階でもかなり苦手意識があります。

城間社長は

「『企画の虎の巻』を読み終わったときに、10個は新しい企画が浮かんだ」

とのことでしたが、僕は正直なところ「なるほどたしかに、すごい」くらいしか浮かんできませんでした。
もはや企画ですらないただの感想です。


ある程度、考える下地や背景がないと途方に暮れてしまう傾向にあるようで、本当のゼロベースから何かを生み出すというのは僕にとっては神業といっても過言ではありません。

これは僕の108の弱点の中でも一際致命的な箇所だと思うので、今回の読書会ではみなさんの企画を聞くことができるのが非常に楽しみです。