私三条透子は、今から37年前、

3歳の頃から、高校を卒業した18歳まで、いじめを経験してきた。

理由は解らない。幼稚園では、授業の部屋に入ろうとして、クラスメイトは勿論、先生に閉め出され、施錠された為、一人、時間をもて余すしかなかった。

小学校では、男子からの体に対する暴力が主で、当時、事情があって、祖母と二人暮らしであったので、なるべく黙っていようとしても、制服のスカートに、足形が幾つも着いて、祖母は来る日も来る日も、泣いていた。

祖母の友人に招かれた中華料理屋で、同級生に会った日の翌日、無銭飲食をしていたと、学校中の噂になっていた。

中学の理科の時間、実験で使用する硫酸を、班の男子が私の顔にかけようとし、先生から、それはこっぴどく叱られ、私は、理科の時間を保健室で過ごす日々だった。

高校でも、いじめは相変わらずで、勿論、死を意識した事が無い訳じゃない。

けれど、私を引き留めたのは、遺される家族の存在だった。離れて暮らす母と義理の父。そして祖母。

不登校になった私の様子をわざわざ見に来てくれた、仲良しの先生や友達。

死は、解決ではない。ただ悲しみが深く深くなり、愛してくれる人達を、裏切る事になる。

そう感じた。


今の時代、SNSが主流のせいか、人間関係が希薄だなぁと、つくづく思う。匿名を隠れ蓑に、ネット上で誹謗中傷を繰り返し、悪質になると、個人のプライバシーまでが晒され、追い詰められた挙げ句、自ら命を絶ってしまう、親指殺人という言葉が生まれる程。


今、いじめを苦に、自殺というニュースを見ると、彼等には、所謂、逃げ場が無かったのではないかと考えてしまう。また、両親に心配をかけまいとして、思い詰めてしまい、心が壊れてしまったのか…。


私は、小学校の頃から、趣味嗜好が似ている友人達がいて、アニメや漫画も、同じものが好きで、学校がお昼で終わったり、休みの日は、友達と、家でファミコンしたり、漫画読んだりして、遅くまで遊んだ。


高校三年、最後の文化祭等、忘れられない思い出がある。高校は、共学の私立で、一年で科を選び、後の二年は、担任もクラスメイトも変わらないというスタイルだった。


文化祭の出し物が決まらず、担任から、今日のこの時間、チャイムが鳴るまでに、絶対に決めてくれと。

そう言われても、出す案出す案、悉く却下なのに、と思いながら、46人のクラスメイト全員で、知恵を絞った。

『あ、じゃーさ、校内の素朴な疑問を模造紙に書き出して貼るのは?』

1人の男子の提案で、教室の空気がこの案に傾倒しかけた時、

『ね、ねぇ。きゅっ休憩室作ろ。』

また別の男子が慌てて提案した。

文化祭は、皆、校内を歩くから、休める場所が必要という意見に、全員が賛成した瞬間、チャイムが鳴った。

当日。………………………なんか違う。

いや、ものすごく違う。

机をカフェ風にし、カーテン締めて、明かりを点けると、休憩室どころか、ラブホの一室。

何で、カーテンが深紅なの?

………………………。

後々まで、語り草になったラブホ紛いの休憩室だったが、終わってみれば、自分達らしかったね!と笑い合った。


15年に亘って、いじめの渦中にいて、答えもなく、訳も解らないまま、辛い思いもした。


今、いじめで苦しむ子達が、このブログを読んでいるなら、死は何も解決しない事、どうか、これから先の未来で必ず、あなたを理解する人に出会える事を、信じて欲しい。


いつの日か、昔を懐かしんで、そんな事もあったねと、振り返られる日が、きっと来る事を。

苦しんだ分、ひとまわり、大きな自分になれる事。

自分だけは、自分を見捨てないで。


素晴らしきかな。人生。

私は、この人生で良かった。