災害が試煉なのだ。 | 『真理と道理・人と神』

『真理と道理・人と神』

あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます

視覚というのは脳の後ろの部分で感知するがやけど、先祖は視覚に影響できる。

声や映像をこちらがとれんようになると、眼を使う。
文字が全く違う言葉になって読み違えを起こしてくる。
まあ、勘違いという部類でもあるがやけど

これは、災害や身の危険が起こる日にはよく使われる手法でね
標識を見間違えて目的地と違う方向へいかしたり、時間を見間違えさせて乗る電車を遅らせたりする事で使われよる。
飛行機もそうやろう。

今日は本を読むと『感謝に感謝をしてあなたの回りが回り整えられ』『愛がーーー』というような言葉が見えた
後から読み返すと関係のない言葉やったがやけど

 
感謝というものはあんまりした事がない
人から施しを受けたり仲良くしてもらっていることが遠回しにわかると少し出てくるようなもんながやけど

でも、感謝というのは人は簡単にできるようだと見えた。
 
 
感謝とは、そういう、エネルギーである。
そんなエネルギーの質であって、それは地震を軽減するエネルギーでもある
地震のエネルギーが左向きの渦なら、感謝のエネルギーは右向きの渦であり、相反しているものである。
エネルギーというてもええし、もう少し密度が粗くなれば波動ともいう。

本神がいいよったけど『P派が扱えれだしたら』と、地震にはP派という波があるらしくそこのコントロールが必要だと言いよった。
 
 
日本の国土に無事住まえる事は有難い事だと感謝がいるらしいわ。

癖を日頃からつけてないとできんものながやけどね。
 
 
地震はエネルギーの発散やけん、直ぐに2度同じ震度が出ることはないろう
余震があるぐらいよ
 
考えによっちゃあ、腹の立った時と同じやね
一度爆破して二、三日モヤモヤイラついておさまるような。
 

戦争に自衛隊はいくより、災害に行かないかんが。
 
 
それは、私への試煉が災害であり、戦争は試煉ではなく影響としてもたらされているにすぎんからだ。


昭和の時代は試煉とは戦争やったろうが、今は天の意ではない。
今から先大きな戦争が起きるとしたらそれは人間の勝手で起こるもの
それをやらさん為に霊的な側面の者が強く出てくる時期でもあるわ。