虐めとかってよお | 『真理と道理・人と神』

『真理と道理・人と神』

あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます

うちはよお、疑問があるがやけど
学校とかで虐められた子がおったら
絶対虐められたことのある奴おるがやけん、寄っていって一緒におっちゃったらええにねえと思うがよ


二人やったらまだ虐めれる範囲やけん、一緒に虐めに合うろうけんど、これが三人四人と集まったら、いくらなんでも簡単には虐める側もよう虐めんで。
それが5人6人となったら尚更よね。


かというて虐めに合うた人が集まって、やり返したいというて逆に復讐をしだしたらただの不良の塊になってチンピラと変わらんがやけどね



うちは中学とか高校とかを思い返しよって、何を自分はしよった行動やってあんなことをしよったがやろうということがずーと、あったがやけど
次あいつ虐められるなーとか、前触れが必ずあるけんわかるもんやいか。
やけん多数が一人の言い出しっぺに感応されて、行動に出るまでにタイミングを妨害しよったわと思うたね。


一緒のグループにおっても些細な事で喧嘩したら、一時はそのグループから気持ちが落ち着くまで離れたい時もあらーね
そしたらフと仲間に入れて、本人がグループに帰ってみるけんというたら、わかったというちゃったらええことながよ


やっぱり時間が長く一緒におったグループから違うところにいったら居心地が悪いこともそこでわかるけん、喧嘩しても帰りたいと思うもんやけんね。
それが絆があるかないかということやし。


そういうのって、今の学校ないがかねー(´・ω・`)
 


人は人と共存する上で協調性があるけん感応もされやすいってことやけんね。


やけん、今の社会や国の在り方を見て
長いものにまかれたらええ物事と、感応したらいかんことっていうものの区別をつけないかんし
区別をつけれても意志がないと流されて終わりで最後に自分にもんてきて悲しい思いをせないかんなるけんね


表面流されておかないかんことはどこにいっても人と生きるなかではあるがやけど、中身まで流されよってはいかんということよ。


人の都合に流された時に、損をするのは自分やけんね。
人にはよくても自分にはよくないことは沢山あるけん。