幸せや不幸にも捕らわれないもの | 『真理と道理・人と神』

『真理と道理・人と神』

あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます

よく仏教ではこの世の全ては変化するものやけん物事に執着するなと言われる


こないだは『カンナガラをとけ』と言われたに、こないだは『仏教で喋りなさい』と言われた


難しいことはわからんけど


この先ずーと健康でおろうとか
この先ずーと家族でおろうとか
この先ずーと若くおろうとか
この先ずーと死なんとおろうとか


まあ、それは無理な事で
いずれ病気にはなるし、やれよったことはやれんなるし
自分が死んだら家族でずーとおりたいと言うたもんが家族を崩したことになるし
若くおるにも見えん脳細胞からやられていって、ボケても自覚ないまんまのことやちあるし
いつでも会えると思うて会いに行ったらポックリ死んじょったとかもあるし
それって遊びに行ったつもりが仏壇拝みに行った事になるし。


幸せって続かんのが当たり前というやつかと思うた。
こうじゃないと幸せじゃない!っていうもんを握っておったら
脆く崩れますよと言うことよね
やけん現状がこれやないといかん!というたら、もって数十年やけん


その場その場で「あ~幸せやね」って思う事を何回もしていかないかんもんやと思うた


今が幸せ、今が幸せって思うて写真をとるように刻んでおらなあいかんなと


ハイ今!パシャ
ハイ今!パシャ

見たいに。


今年集まれた親戚で来年も集まれたらとか、それはわからんことやけん一期一会って大事やと思う
うちイッキイッカイかと思うたら、イチゴイチエやとね(´・ω・`)



壮大な結婚式されて、来年のその日は離婚しましたとか、おいおいたのむぞ~って思う。
やけど、まあ、あの結婚式はよかったでね、あの時は皆が幸せな雰囲気と顔やったしって言えたら、それでええわと思う。


まだ先の物語があることやけんね。



ただ少し思うに
幸せになりたい!だけで突き進んだ時には、その幸せというのは真理的本質ではなくてもかまんもんも含まれると思う


個人的に、幸福も不幸もなにがどうなるかわからんけど、一生のうちに繰り返すものやけん、何が出ても納得することをやっちょけよって思う


幸せにしがみついても年月が連れ去るし
不幸にしがみついても年月が幕を降ろす


不幸であれ幸福であれその二択を振り切っていえるものってなんやろうと思うたら


納得したかせんかの選択になるがやないろうかね。



日本が戦争に負けたと知った人間が悲しんだとして、やるだけやって納得できるほどの事をした人間は、ただ悲しいと言うろうかね


まあ、そこでその現状の中
納得できるほどの選択をできる運命であるかないかは個人のモノやけど。


人間思想の戦争の経路や馬鹿げた非道な決定の裏事情を知った幹部の者が、なんとかその選択から日本を守ろうと影で動いて、日本が負けを認めた事が公表された時には、悲しくはなかったと思うで。




私はこの世界の戦争はやめないかんと思うちょるけど
現実問題安保法案はやめろー!ですむような甘い世界やないで。

日本は知らんがよ

外国の非道さを。
それをほんまに知ったら簡単には武器も持ちませんと単純には言えんなるで。


戦争しません一点張りって、若い世代の人は子供のためにやらないかんと思うがよ

やけど、お上はそうじゃないろ。
アメリカとの兼ね合いや、モロ外国の状況や性質や感覚の違いは、政治家でさえわかってないぐらいやけんね。
甘いがよ。


誰のお陰で戦争のない国で戦争しませんと言えよるが?っていわれたら
おしまいながで。

現に戦争をしよる現実の国があって、その国に守られるという事が起きちょる事態で


戦争に参加はせんでも、自分のみを守るぐらいの姿勢はとらないかんろ。


来るものは、法案を変えんでも変えてもくるがやけん。