思考の現実も徳を使うよん | 『真理と道理・人と神』

『真理と道理・人と神』

あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます

引き寄せの法則というのはね、小さい頃からフワっと思うたことは制限範囲なしで何でも叶いよったがやけど


それを知っていながら、年に三回思うか思わんかと言う程度で
理不尽があろうが、苦労があろうか、苦しさがあろうが、矛盾があろうが
そうやけんというて、その思考の現実を使って解決するということは一切したことはない


なぜそれが起こるかの理由を見抜いておるから、表面直せばええという問題ではなかったけんながやけど。


引き寄せの法則は、人間の力ではどうにもならんことについて、この世の理屈を飛ばして現すもんやけん
理由と理屈と道理がある事については使えん。


運命を直接さわるようなもんやけんね
もしかしたらちょっと、一般的な思考の現実の話とは妙に違うスジを言いよるかもしれんけど


つまり自分が耐えれる事というのは、自分でなんとかせないかん。


『霊力に頼らず自分で行動しなさい』
『自分でできることは自分で行わなければ、神を尊厳しなかったことになる』


と、教えられてきた。


引き寄せの法則はね
人の器の許容範囲内の事が起こる
人にはこれが起こったら不幸だ!ということもそれが起こっても何でもない人には、起こるよ
対処できるけんね。


一つの事に対して全体がそのように都合よく、ということはない。



私が思うたことしか起こらんけん、それも自己責任よということに対して
じゃあええことを常に思い、現実させていけばええじゃないかと普通は思う


思考の現実をしても、それに対する妨害や阻害や試練に洗礼、というのは普通にあるもんぜ
まあ、引き寄せるもんが自分の事だけならかまんにせよ、大きいことをする時にはね


会社の利益を出したら、どこかの会社は利益をこちらにとられたというのが普通やろう
それはいろんなレベルで起こるがよ
極端な事には極端な事ほど


やけん道理と人の道を外されんがやけどね。
こんな力はね、本当にやられんよ。っていうことにだけ使うもんで、普通はいらんのよ。
人がそれを選択したらほんまに災難にあいまっせ、と言うときだけに使えば日頃はいらん。
まあ、そんな選択をするにも先祖の意思から精霊の意思から邪の意思と全ての総合からやけん、結局口より力になるがやけどね。



やけん一概に思考の現実で幸せ!っていうことに対して、その物事によって、それにて助けられる人と、それにて快く思わん人も必ず陰陽よのうにおるということよ(  ̄▽ ̄)


『売りから嫌われる』

うちやちこんなことを書いておったら、売る人からは嫌われるわえ
それはしゃーないなー
うちは売れること目的やなくて、人の落ちる事の歯止めやけんね



調子のええことばっかり起こるわけないろ。




やけん、調子がエエ時にはそんなことには気付かん
けど、全体の調子がガタッと落ちることがあるがよ
厄災というなのものでね。


その時は、引き寄せ事態が厄災を呼んで、いつもなら上手くいくのになぜか上手くいつものようにいかないわ、ということが起こるろう


その時は静かに時が過ぎるのを待つといい。


思考の現実は徳を使う
やけんどうにもならんこともその分起きる


お肉食べたーーーい!っていうたら人にもろうたとして、ならバナナでも返しておけば徳も使って溜めてのプラマイゼロよ


それ以上のモノに対しての事の話よ
たまにおるらしいね、思考の現実で調子が良かったもんが、ガクーーとある時から落ちたりする事。


人には、人の幸せの成り方があるけんね


どんなにお金があろうとも、お金があれば健康を、自分に起こらんでも一番に影響する重要人物に、そんな人生の時の流れと大きな循環まで崩して、思考の現実が起こるわけではないけんね。


一番は自分の生活が思考の現実をしなくても安定していて、更に思考の現実を使っていて、それがなくても障害がないというのが一番。




甘えた事を言われんで。



将来を見通す陰陽の眼がなかったら、何年か後に同じ状況でおれるかはわからんがやけん。




頑張ることと
理想と
努力と
休むことと
止まること
困難と試練と
成功は


総合した真実を言わないかん。