2014.3.11 | 『真理と道理・人と神』

『真理と道理・人と神』

あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます

怒ったあの日から三年か。




職場の人がいいよったけど、これは確かにその通りやと思うたがやけど




あの日を思い出して、悲劇をもう一回思い出して悲しくなる日になるなら、思い出さん方がええ


生き残った者はそれでも生きんといかんがやけん。




と。






本当に、次の震災時はあんなに人が死なんでええように、教訓を学ばす見返しとしてやるならええけど



それにおうて生きる大変な人を報道して、それでも生きる苦しさを美学とする必要は

ないと思うがよ。





個人で苦しみながら、こんなにも大変な人がいるのだ、自分の苦しみなんて屁でもないと思えと訴えても


そんなやり方無理やし。


そうやなくて、それを助けて支えて共に生きておるならええ流れやね。






事実は事実として



それをどう乗り越えているかということが、今の報道には必要ながよ。


当日はもう、過ぎたがやけん、今はそれの事実だけをやるもんじゃない。





あの日を忘れん言葉が大事でも進まなければならんのだからな。





被害者は金をもろうても、無くなったものが太すぎて文句や被害者の言葉をダラダラいうろう


それでも生きていく生活はしなければならんのだから、少しは許してやらんとな





被害者は誰よりも大きな諦めを体験せないかんだろうから、これも難しいことやろうよ。






今いるのは、希望ながよね






くだらん余裕のある時代に苦しみは美学だなどとゆう意識はもてるだろうが



今はその美学を通り越して本気なもんで、ただの苦にそのまま変わることを忘れるなよ。






恐怖ばかりを写すもんじゃないよ。








しかし、原発という危険物で稼いだ時代があったぶん、今回の被害額はそれを取り削がれる程の被害額だなあ(笑)





これが因果の法則よお。