サーーとなった瞬間 | 『真理と道理・人と神』

『真理と道理・人と神』

あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます

思うた事を現象化する時の思考方ってある特徴があることに気付いた


欲がない状態で思考すると何でも叶うがやけどね


太いことが起きる時ってサーーーってなった時やね

もう、ダメや…とか
もう終わりやな…とか
これ以上は先はない…とかね


そう思うたら希望や絶望ってスッと消えるがね

その状態で思考したことって何でも起きる



あぁ、そうそう
裏の冷淡な自分ってこの状態や
本性がでる

希望持つと夢を見る、やけん絶望が生まれるがね
それに引き続き不安も悩みも、完璧主義も現れてくる
何かと希望や夢とは時に邪魔となるわ



素に戻りたいといいよった
それは希望や絶望があって生きてますという次元ではない普通の意識に戻りたかった
夢ばっかり追われてもしんどいがってね



本当に、心からもうダメや!!っと思うたら普通人は絶望するがやけど、うちは本性がでる


その状態はとても精神が落ち着いておって楽ながよ
できることなら楽におりたい
うちの普通や楽とは人と状態が違う




『真剣に考えよ』といわれた

最近真剣に考えることがなかったけん悩みや迷いがでよったがやけど
実際腹は気まっちょる



このままでおれたなら一番ええがやけどね




本気というものは熱意ではない
動ではなく止である
火は、温度が上がると赤から青になる
真の姿とは至って冷淡なものぞ


全ての指令を出す時はこの状態でしか出せん




『外にでますか』というたあの言葉