神の一言 | 『真理と道理・人と神』

『真理と道理・人と神』

あの世とこの世のことから人の心や魂や家系の先祖、そこからの道理と常識の大切さを書いています
また先祖や神からの気付きや言いたいこと乗せてます

うちが今まで悩んできた疑ってきた心は全て自分が自分の良心を疑ったことから始まった

自分が他人に良いことをしてないときは他人がいうことなす事そんな自分を戒めるようにしか解釈できん

結局自分が自分を責めている

その判断を冷静ではないという


人が外からの反応を解釈するとき、心のもつ傷がよく解釈をまげる
相手の言った一言が勘にさわるときがある、でも相手はそんなつもりではないのが普通である
しかし勘に触った本人は腹を立てる
結局自分の過去の痛みに触れられて勝手に自分が怒っていて相手は関係ない
相手に言い返したとしても

それを考えたらこの世に自分一人しかおらんじゃないか、と思うた

だって相手の解釈さえ自分の過去の経験で判断してとるがやろうー?
そこに他人ってないやん。自分しか


人は優しいもんであると思う
だって怒ったりしたことには次からは考えて触れんやん
そうやなくて怒った自分が自分を見直して直すべきやと思う
いつまでたっても自分維持したままのわがままやん


うちは裏の自分に『わがまま』と言われた
考えてみれば今まで自分を消すことばかりやってきた、自分を消すことって良心を消すことながね
自分の良い個性とは良心が関係するのよ

良心を信じなくなったり見失ったりしたときは自分自身を見失った時であり

いじめる子いじめられる子の特徴である

自身のなさとは良心の自覚のなさである

わがままもここからくるしねえ


今までの考えスッパリやめましょう、と思うた
14年ほどやってきたかなぁその考え(苦笑)


そしたら
『早かったわね』
ここに辿り着くの、とおばちゃんの神様にいわれた
多少は急いだけどまぁ、早くて良かったわ
何もかもがぶち壊れる前であって


去年いきなり『なんみょうほうれんげっきょう』とだけ喋った神がおった

うち日蓮嫌いやし、とか思うて今日までほたくっていたら白山道のブログで「自分の良心を信じる事が一番の真理ですよ」と乗っていた

ぁあ、そうか、と去年のこの一言が今わかった


あそこのブログと人生の流れが連動しちょってその日に起こったことの解釈が答えあわせできる


まぁ、その意味もわかるけどねえ



東京付近の地震、震度7はやりすぎやろう
多少抑えながら全国的に分配するか
したの方にも出さにゃいくまいよ





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