「ご機嫌麗しゅう、王太子殿下。」
「あぁ、セイジか。どうした?」
「いえいえ。風の噂でお出かけされると聞いたもので。お見送りしなければと思いましてね。」
「そうか。それはありがとう。」
「殿下の準備は終わられたので?」
「あぁ。今はヤシロを待っている。今回の唯一の同行者だからな。」
「我々のことは裏切り者とお思いですか?」
「まさか。」
「王太子が、たった一人の付き人だけで城を出てもいいとお考えか?」
「いいや、本来はそのようなことは許されないことだ。それくらい、分かっている。だが……。」
クオンは瞼を伏せ、高揚する気持ちのままにつづった一通の手紙を思い出していた。自分勝手な想いばかり乗せた、手紙。
「タカラダに守られる、王太子よりも重要である人物に、一人旅をさせてしまった身だ。タカラダに示すためには、同行者はせいぜい側近一人といったところだろう。」
「……まぁ、そうでしょうね。」
『王太子』の変えはきく。何せ、クオンがその座を得るために何人も蹴落とした人物がいたくらいなのだ。
だが、『タカラダの主』に変えはない。タカラダは代々、家ではなく主に仕える。そして、主が亡くなった後は、仕えるにふさわしい人物が現れるまでは忽然と消えていなくなる。
キョーコ亡き後、彼らを縛るものは何もない。それこそ、次代の主は隣国の王族である可能性もあるのだ。
自国にタカラダがいる以上、その『主』の存在は国の中で絶対的である。
たかが王太子一人とは比べ物にならない。
現状、キョーコの立場はそういうものなのだ。
「全く、やっかいな方に惚れたものですね。」
「はは…そうだな。だが、それでよかったと思っている。」
絶対権力の前にひれ伏すのは、キョーコではなくクオン。
だが、そうであるがゆえに、自身とキョーコの立場を正確に理解することができた。
そして、理解したうえで、愛を乞えることは、クオンにとって幸運と言えた。
「本来なら、キョーコに逃げ道などないのだ。でも、タカラダがいることで、不幸にすることは絶対にない。」
キョーコがクオンを拒否するのならば、タカラダが必ず動く。
クオン自身はキョーコを手放せないけれど、タカラダであれば、クオンからキョーコを奪うことができる。
「……歪んでいますねぇ……。」
「ん?そうかい?」
「そうですよ。歪んでいるし、重いです。…まぁ、でも、自身を冷静に分析できているだけましですか。」
「そうだと思う。」
何せ、王太子の地位を得るために努力をしたのはキョーコのためなのだ。絶対的権力を持って彼女を守る…そう考えていたけれど、本当は絶対に拒否をされないために努力をしたのかもしれない。
それが『歪み』であることは、キョーコを愛する者達に指摘されて気が付いたのだ。
「まぁ、せいぜいあがいてくださいよ。あがいた先に手に入れたモノの方が貴重でしょうから。」
「あぁ。そうさせてもらう。」
「あ、そうそう。ご出立されるならば、王太子宮の玄関ではなく、裏門から出てくださいね?」
「え?」
「ひっそりお出かけするんでしょう?堂々と正門を通って行かないでくださいよ。それくらいの配慮はしてください。…あなたの立場は盤石と言えますが、危険分子がいないとは限らない。」
現状、王太子にとっての強力な好敵手はいない。
それらの危険分子は、キョーコを王太子宮に迎える前に全て整理した。
だが、だからと言って油断してはいけない。
そういう、立場なのだ。
「分かった、ありがとう。」
「いえいえ。…少し冷静さを欠いているようですね。本当に気を付けてくださいよ?見落としがあると後悔だけではすまない事態になりますから。」
「あぁ、気を付ける。」
「では、御前失礼いたします、殿下。」
美しい拝礼をして去るセイジを見送った後、クオンは「よし!!」と気合を入れて立ち上がる。
「行くか。」
今までの自分自身を悔やんでも悔やみきれない。
けれど、だからといって何もせずに諦めることも、立ち止まることもできないのだ。
だからこそ。
自身の望む未来を掴むためにクオンは旅立つ。
………傍に求める愛しき娘がいることにも、気づかずに………