生まれて初めて、かもしれない。
―――王太子殿下の…愛しき娘を、連れてきてくれないかしら?―――
明確な『命令』となってしまうと分かった上で、誰かに己の個人的な『願い』を口にしたのは。
―――かしこまりました、我らがお嬢様。―――
恭しく頭を下げたまま、そう答えた男がどんな表情をしていたのかは分からない。
けれど、口をついて出た言葉に、すぐさま苦みを感じた。
例えコウキが肯定的な感情でキョーコの言葉をとらえていたとしても、キョーコ自身が己の発言に嫌悪した。
口にする言葉が命令になると、分かった上で未だに『お願い』だと思おうとしている自分自身が憎らしい。
もはや拒否をさせないほどの権力が自分にあるということが分かっているのに、個人を優先させた発言をしてしまった己を、許してはいけないとさえ思った。
だから。
―――ですが、お嬢様。その命令を受けるには条件がございます。―――
下げていた頭を上げて、優しい面立ちに満面の笑みを浮かべた男は、拒否をしないと言った舌の根も乾かないうちに、命令に従う『条件』を提示してきたのだ。
それは、もしかしたら主であるキョーコの性格を慮っての発言だったのかもしれないが……。
今、キョーコの身に起きていることに対して、その『条件』を飲んだキョーコ自身が首をかしげている。
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「ねぇ、モー子さん。これってどういうことなんだろうね?」
「私が分かるわけないでしょ、モ~~~~……。」
カナエは、彼女と同じお仕着せを着て隣に立つキョーコを見て、投げやりに答える。
キョーコは隣に立ったカナエに話しかけたものの、真相をカナエが知っているとは思っていないのか、答えが返ってこなくともそれ以上何かカナエに尋ねてくることはなかった。
だが。
王太子殿下の想い人が誰で。
その人物がどこにいて。
今、何を考え、何をしているのかを知っている彼女は、キョーコが知らない間に作り上げられた舞台の全てを理解している。
そして、理解した上で、女優として同じ舞台に立っているのだ。
「……宰相様ったら、何を考えていらっしゃるのかしらね。もうすぐ期限が切れて、この娘は晴れて自由の身になれるのに。」
「え?何か言った?」
「なんでもないわよ、モ~~~……。」
キョーコは全く知らないが、カナエは知っている。
コウキ…宰相は穏やかな笑顔を浮かべながら…猛烈に怒っていた。
彼曰く。
キョーコが城に到着したことに全く気付かず、彼女に愛されていないのではないかと愚かな発言をし(タカラダ家諜報部隊調べ)。
キョーコを迎えに行くなどと言い出したかと思うと、意気揚々と人攫いにモガミ領に向かい。
キョーコが城を追い出されるという危機的状況に気付かずに、ローリィからの言葉に二の句が継げない状況になってスゴスゴと帰ってきた、と。
下女としてカナエと一緒に働いていたという現実はどうでもいいのですかというカナエの問いかけに対し、「お嬢様が喜んでいらっしゃったら、なんでもよろしい。」ときっぱりはっきり宣ったかの人は、やっぱり大物だと思う。
それに対する王太子殿下の小物ぶりはどうしたものだろう。
次代を担う王太子を、カナエはそれなりに評価していたのだ。
彼の傍にいたわけではないので、人柄がいい、ということはできない。
だが、彼が第一王子として残してきた功績と、現在、王太子として公務につく姿を見ていれば、尊敬できる人物だと思っていた。
それに、カナエ含め、下女たちを決して軽んじない性格も好感が持てていた。
口にはしないものの、他者にも自身に対しても普段は辛口評価のカナエの中で、クオンの評価は高めであった……のだが。
それが、もはや堕ちるところまで堕ちてしまった。
そんな最低最悪な王太子に、このどこまでもノホホンとした平和主義みたいな顔をした…とんでもない爆弾少女(という名の大事な親友)を渡してしまっていいものなのか。
しかし、目の前の少女は、どうやらあれほどのダメ男を心底慕っているようであるし…。
いや、しかし、(キョーコの中で)大親友のカナエが言えば、考えを改めるかもしれない。
だが、それでも愛した男のことを、それほど簡単に忘れられるものなのか…。
……渦巻く感情が、どうにも正常な判断をさせてくれない。