【第33期】福岡城天守の復元について考える! | 【田中しんすけ事務所】第33期インターンブログ!!!

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今期は、大学生1名が参加しています。このインターンでどんどん成長していきます!

こんにちは!

北村実夢です。

 

今日は、福岡城天守の復元について考える市民フォーラムに参加してきました。

 

 

本日のフォーラムのプログラムは、

①開会挨拶・基調報告

②本郷和人さんによる基調講演

③パネルディスカッション

の順で行われました。

 

 

会場に入るのが始まる少し前になってしまったこともあって、会場に入ると座るところがないくらいの人がいました。座っている人の多くは、スーツを着ていて会社員のように見える方が多い印象でした。

今回のフォーラムは、「福岡城天守閣の復元的整備を考える懇談会」通称(ふくふく懇)のメンバーに加えて、東京大学史料編纂所教授である本郷和人(ほんごうかずと)さんを迎えて、福岡城天守の復元について考える場として開かれました。また、取材をしにきたメディアの方々も多かった印象です。


フォーラムが始まって、最初に①開会挨拶・基調報告が行われました。

「鎌倉時代ほど昔から、博多からいろいろな文化が入り技術が入り日本は発展してきました。現代でも、福岡の地から風を巻き起こす」といった言葉を開会の挨拶で元・文部科学事務次官の山中 伸一(やまなかしんいち)さんが話されていて、それが印象に残りました。

福岡の地から風を起こす。

まさに、天神ビックバンなどが行われている福岡の街にぴったりの言葉だと思いました。

 


次に、これから行われるパネルディスカッションに備えて、本郷和人さんによる②基調講演が行われました。

幼少期から、大河ドラマを見ていて歴史の授業が大好きだった私にとって、テレビでよく見る本郷和人さんが生で、しかも、私の大好きな黒田官兵衛・長政の話をしてくださる。こんな経験、今後ないだろうといつも以上にメモを取る手が止まりませんでした!


博多の街の歴史から、関ヶ原の戦いにおける長政公の活躍、黒田家と吉川家の絆の話、そして福岡城の建設までをわかりやすく話されていました。

その中でも、私は博多という街がどのような街なのかというお話に興味を持ちました。

私は、北九州市の黒崎出身なので博多の街の歴史を知らないからです(本郷さんのお母様も黒崎出身だという話をつかみとしてされていてびっくりしました!)。


「博多は民によって作られた街である」「鎌倉時代にはいろんな国のことばが飛び交うグローバルシティであった」「室町時代の経済・政治の大動脈は、京都→堺→博多であった」「研究中に出てくる品物が他の地域よりも時代が進んでいる」など博多という街の特徴をより知ることができました。

 

 

最後に③パネルディスカッションでは、

  1. 天守は本当に存在したのか
  2. 天守はどういった姿だったのか
  3. 天守を復元した時の活用の仕方

についての討論が行われていきました。


まず、天守は本当に存在したのかという点に関しては、九州大学名誉教授の丸山雍成(まるやま やすなり)さんが、「長年研究されてきた成果により多くの資料が集まっており天守閣があったのは確実である」とおっしゃっていました。


次に、天守はどういった姿だったのかという点では、九州産業大学名誉教授の佐藤正彦(さとう まさひこ)さんから「天守は五重六階地下一階(地上五階地下一階)であったと思われる」という趣旨の説明がありました。


最後に、復元した際の活用方法です。

「福岡城をシンボルとすることによって、福岡らしさを出していき、福岡のアイデンティティとなるだろう。市民に愛されて支持されるものにしていかなければいけない」とおっしゃっていました。

 

一つずつ説明があった後に聞いている人たちの質問を受け付ける時間がありました。

そのなかで、私が今一度考えさせられることになった発言があります。

 それは、

「福岡城の天守閣や石垣は、災害などではなく黒田藩の意思で壊されたものなので、このままの状態を維持することで歴史を大切にしていくことが大事なのではないか?」

という意見です。

 

私は、小さい頃に見た大河ドラマの影響で黒田官兵衛、長政公のことが好きでした。またお城を見ることが好きで、テレビで姫路城などのお城の特番があるとついつい見てしまいます。

なので、福岡城の天守が復元できるなら見てみたいという思いが強いのですが、これまで「黒田藩の意思で取り壊されている」という点を考えに入れたことはありませんでした。


また、パネルディスカッションの中では観光地として使うことが主な目的とされているように感じることがあり、エレベーターや空調などもつけるという話が上がっていました。

観光という目的で作るのか、歴史や文化を語り継ぐために作るのか、そのようなことも考えに入れて、復元をして欲しいのか、復元をするとしたらどのような場所になって欲しいのか今一度考える必要があると感じました。

 

 

北村実夢