娘の反抗期を夫が認識してくれたおかげで、私の愚痴吐きタイムに張り合いがでた。聞いてくれる相手がいるだけで、精神的に余裕がでる(今まではのれんに腕押し的な、明らかに娘の味方っぽい反応)。
さすがの夫も、最近の娘の態度は目に余るらしい。
わが家には最新のゲーム機がないから、娘がゲームをするときは夫のスマホを拝借するしかない。
宿題の途中で夫が帰ってきたときは、宿題そっちのけで夫のスマホにかじりつく。私にイヤミを言われたとき、娘はそれを夫のせいにした。
「お父さんがやっていいよって言うからだよ」
夫はそんなことを言っていない。さすがの夫も言い返していた。
とはいえ、スマホのロックを解除したのは夫なんだから、同罪じゃないの?と思うけれど、夫と娘の仲間割れは大歓迎。ひどい態度が私にだけ、なんて割に合わない。
最近は、3秒前に自分で言ったよね?という、ささいな自分の言い間違えですら認めない。機嫌がわるいときはすべてを人のせいにするから、私も腹がたつ。
うちの子の反抗期は酷いんだ、と思ってネットで高学年の反抗期を改めて検索してみた。
ベネッセとZ会の記事をはじめ、できるかぎり専門家の人が意見をしている記事を探して読んだ。
その結果、気づいたことがある。
どうやら私の怒りの沸点が低いらしい。
娘の反抗期は、ごくごく平均むしろ今の時期は当たり前のレベルだったっぽい。
私自身が子どもからの暴言に対して過剰に反応することが、わが家の問題点だとわかった。
昨日は「うっさいなー!」と言われただけで、マジギレしてしまった。
私は女の子が汚い言葉を使うことに対する嫌悪感がある。
例えば、母娘でレストランへ行って、娘が「これ、うまいなー」とか言ったら、テーブルの下で足を蹴ってしまいそう。足で人を蹴る母親と、上品とはいえない言葉を使う娘、どう考えてもどっちもどっち。
それでも、もうこればっかりは仕方がない。
どうしても譲れない価値観ということにして、友だちの前で話す言葉と、親・目上の人と話す人の言葉は、きっちり分けてもらおうと思う。
ということで、親に対して「だまれ!」とかいう命令口調だけは、何をどう考えても許せそうにない。今まで言われたことがないけれど、どうしても流すことができないことはわかる。
私はこの11年間、娘に一度も手をあげたことがない。
癇癪女王様だったころも、1時間に1回のペースで夜中に点呼してきたころ(0歳じゃなく1歳半~2歳ころ)も、手をあげたら終わりだと思ってこらえてきた。
それは暴力反対とかそういうことではなく、1回でもそれを許してしまうと、自分で自分を押さえられないとわかっていたから。虐待につながることが怖かった。
今まで我慢してきた最後の砦を、娘の暴言のせいでやぶってしまいかねないとすら思う。
反抗期のころに、自室の壁を自分で蹴って穴をあけたとか、特に珍しい話ではないはず。
それでも、わが家の壁や扉を壊すとしたら、娘ではなく私じゃないかという気がする。
この先、娘に手をあげそうになったら、カーテンレールを壊す覚悟でカーテンにあたるのはどうだろうか。
壁は隣の人に迷惑だし、扉は修理費用がかさみそうだし、カーテンレールならDIYでなんとかなりそう。
娘の暴言は、私に面と向かって言うのではなく、独り言なら許可しよう。たとえ私が聞こえていたとしても、そこは許可しよう。よし、がんばろう。
私にとって一番年下の従兄弟の反抗期が壮絶だったらしく、叔母から、あの頃は何度包丁をにぎったかわからないという話を聞いた時は、背筋が凍りました。どうかそこまでいきませんように。
私は結婚前から、男の子の母親になることに憧れていました。ずっと2人目がほしかったのも、男の子がほしかったんです。自分自身が、今でもいい娘じゃない(当然、過去もいい娘じゃなかった)のはわかっているので、自分みたいな子は欲しくありませんでした。
今の娘にむかつくことはありますが、私自身の子どものころと今の娘は、性格やキャラがちがう子だということは、この先も救いになりそうです。
むしろ、私は男の子の親じゃなくてよかったんだな、と受け入れつつもあります。男の子の言葉遣いはやっぱり止められませんし、将来のことを考えると口うるさくなるのもやむをえないというか。
手放してしまったこの本を、もう一度読み直してみることにします。
私が娘に口出しができるのは、せいぜいあと7年くらい?高校を卒業してしまえば、もう親とは完全に別の世界で生きていくでしょうし、娘が自立した後で笑って振り返ることができますように。