どうも、こんにちは。

 

 

 

やる気は起きないけどやらないといけないことがある。

思えば人生こんな状態なことばかり、生きている限り付き物なんだろうね。

さて、現在の私もそういった心境である。とりわけ私に限っては、やらないといけないことがある状態になると身動きがとれなくなってしまう。「1番にやるべきことをやらないでおいて、他に現を抜かすのか?」といった感じで。向き合いたくないくせして、逃げている事実にしっかりとマイナスの意識を持っている見栄っ張りいい子ちゃんなのだ。全く…自分で自分を困らせて苦しめてさ、もっと気楽に生きよーぜ。ある時にはこれに酷く悩まされ、自己嫌悪に陥り、若干の自傷行為に手が伸びたこともあったな。アハハ。

 

 

 

この状態の今、思い出す言葉がある。

 

『何か別のことに逃げている時、我々は確実にその逃げている方向に進んでいる』

 

これは、「剣持刀也」のエッセイ『虚空教典』からの引用である。

これを読んだのは1年前のことであるが、当時スタバで読んでいた私は衝撃で本を閉じてしまった。

逃げることを選んで得た知見・語彙に私は尊敬してやまないでいるのか。

逃げたって誰かから認められる人間になれるのか。

進むを選んでも進むし、逃げるを選んでも進むことができるのか、と。

 

「逃げる」と「進む」は相反するものであって、共存するものではないと勝手に思っていたようだ。実際、逃げるの対義語を調べると、進むは出てくるのだから前者の認識は間違っていないが…。逃げて進む、なかなか自分事として落とし込めない。もう呪いだからな、「逃げるはできれば避けるべきことでマイナスだ」っていう考えは。

 

ただこの言葉と出会えて本当に良かったと思う。

もうすでに苦しんだし、もっと早く出会いたかったような気もするが、息ができない状態を知った人間が逃げることを選ぶのと、何も知らずに逃げるを選ぶのでは覚悟が違う。何も知らずに逃げていたら、きっと進むに転換ができない。「逃げる」という選択肢を選ぶことで、呼吸ができるようになり、かつ進むこともできると分かった今ならば、勇気をもって「罪:逃げる」を選べるだろうか。逃げることをただ色もない行動と認識できるだろうか。

 

 

 

今こうやってブログを書くことで回り道を謳歌している。思いを整理できて非常に有意義だ!

 

 

 

とりあえず今回はここまで。それでは、また。