1980年代は、短大卒業、故郷に帰り就職した時期だったが、好きな音楽が著しく固まった頃でもある。

まずは中高生時代の70年代後半。


私の世代だと歌謡曲なら百恵さんやゴロー、ヒデキという辺りでまあよく知ってはいたが、年上の兄に影響されて、英語もフランス語も全くわからないながら、いわゆる洋楽を聴くようになっていた。

フォークソングもかなり流行っていたとは思うが、歌詞に「〇〇でありまーしたー」という調子がダサいと思ってバカにしていて、日本の音楽全般をバカにしていた時期でもある。


ある時に荒井由実を知り、井上陽水を知り、この方々は違うな!と。

そして、全く偶然にラジオから流れてきたオフコースの「愛を止めないで」にかなり衝撃を受けた。もちろん声のみの情報だがら、小田和正も鈴木康弘も名前さえ知らない。なんときれいなコーラスかと。

その後ラジオで彼らの曲が流れたらいいなあと聞くように。


短大生になった秋にコンサートがあり、友人にも誘われたので参加したが、その時でも何人のバンドかも名前も知らないまま。そして小田さん鈴木さんのあの声を聞いてぶったまげて、どハマりして、それ以来熱狂的なオフコースファンになった。ちなみにこのツアーの新曲が「さよなら」だったので、人気爆発前夜のタイミング。


カセットデッキしかない寮生活だったから、友人同士でテープ貸し借りして、帰省したらレコードを買い漁りテープに録音した。


次の年のWe areツアーはチケット買えず、overなどチケット発売日は会社休んで買いに行くつもりにしていたのに、3日前からもう並んでるよ!との情報で諦めた。


5人は最後となった伝説の武道館10日間のハガキが当選し、兄と2人で初めての武道館へ。

あれでもうオフコースは終わりだと思い悲しかった。

実は鈴木さん脱退後も4人で再始動はしたのだけど、1982年6月30日以降は正直音楽シーンで他に代わるものがなくずっと寂しかった。


その、隙間に爽やかに入ってきたのがこの杉山清貴&オメガトライブだった。

圧倒的な歌唱力に林哲司さんの曲のかっこよさ!


他にもスターダストレビュー、五十嵐浩晃、稲垣潤一などと出会った。稲垣潤一以外は一度はコンサートにも行っている。


ただ、このオメガトライブはかなり気に入ってこれからずっと聴いていこう!と当時買えるアルバムはすべて買って、初めてコンサートにも行った。



確かどこかにあったな、と家探ししたら出てきたパンフレットと、唯一買ったグッズのキーホルダー。


いやーー……。みんな若いよね。

中を見たら1984年11月に行ってるなと。

まさか、これの後に早々と解散されて行けなくなるとは思ってなくて、オフコースの時とはまた別の意味で体の力が抜けたようなショックだった。


ソロの杉山さんもいいけど、あのバンドの作り出す音楽が好きだったから、その後杉山さんだけ追いかけることはなかった。


結婚、出産、子育ての最中に4人のオフコースも解散し、もう二度と小田さんの歌う日はないんだと思っていたが、1990年にソロツアーが開始され、実家の母の協力でそちらでキャンセルチケットが手に入り、小田さんをまた追いかける日々が始まり、ここに遊びに来ていた佐藤竹善さんを知り、シング・ライク・トーキングにもはまっていく。

これ以降、自分の好きな音楽はほぼ小田さんとシング・ライク・トーキングに固まり、今に至っているのだが、たまたま新聞記事で、あの杉山清貴&オメガトライブが再集結して、最後?のツアーをやっている、大好評で追加公演決定!というのを見た。


関連して、NHKBSのCoversにも40年ぶりに出演するんだと。40年ぶり???

そんなにテレビって出てなかったんかい!


今やただの音楽再生機となってるアイフォンにも彼らのベスト・アルバムを入れて聴いてる身としては、日程的にもまだ入院前だから、チケットさえ取れるなら行きたい!と抽選に応募した。





結果、なんと当選出来たのである!

これは貴重な機会!

BSの番組も観たが、みんなも60過ぎてて、次があるかわからないから最後、の気持ちでやってますと。

もしかしたらまた来年とかその先もまたあるかもしれないけど、自分もどうなってるかわからないし、行ける時に行動しないとね。


唯一よかったのは、若い時によく聞いてたせいか、わりと歌詞が脳に入ってくれてるから歌おうと思えば歌えることかな。


いくら今シング・ライク・トーキングが好きでも、朝から晩までまるまる同じ曲を流し続け、を3.4日くらいやらないと歌えるほどは覚えられないし、そもそも歌詞も難しいんだが。


彼らも、おそらく当時ファンだった我々も同じくらいの年代だから、スタンディングしてノリノリを1時間もやるようなことにはならないだろうと信じてみて来よう。