記録を残そう~セルフモニタリングを育む~ | 発達障害と診断されても大丈夫です!!

おはようございます。


今日は、お子さまの記録を保存することで、

セルフモニタリング機能を育むお話です。


今日は、本当に、いい天気ですね。

こういう日に、心静かに、今までとこれからについて、

じっくり考えられる幸せを感じています。


日々、色々なことを感じ、考え、対応しながら

生きている自分自身のありようを、

もう一段高い視点から眺めるメタ認知

(メタ認知:認知している主体を更に上位から認知すること)


それが、セルフモニタリングであり、

自己コントロールや、実行機能に大きく関わってくるものです。


(実行機能:聴覚的認知能力、言語能力、記憶力とは別に、

外界からの情報を選択したり、処理の順序をつけたりする

能力。多くの研究者が、現時点では、大脳の前頭前野が

司ると考えていますが、日進月歩の領域だと思われます。


バークレー(1998)は、「実行機能とは、何をどのように

実行するかではなく、いつどちらを実行するかの判断力」と

定義したようです。


決断力、計画性、合目的的思考、集中力、継続力、

問題解決力、方略を立てる力、選択力、観察力、

思考の柔軟性、時間経過の認識力等、所謂、生きる力に

直結する認知力が実行機能と関わっていると考えられます)


みもざが、うちの子を育てていて、

最も心配だったのが、

この、実行機能や、セルフモニタリングの領域です。


「オーダーメイドの支援チームを作る⑨~短期目標を

共有する」で書いたような、ex.ドングリの穴あけの失敗が

本人にはフィードバックされずに、同じ失敗をえんえんと

繰り返すのは、セルフモニタリングの障害だと思います。


これに類する心配事が、幼児期から、

色々、そう、本当に色々とありまして…


逆に、そこさえ育てば、

多少大多数の人々と異なった感じ方をしたり、

それに基づく個性的な対処方法を選択したところで、

それは、愛すべき個性の範疇で、何ら問題はない…


自分の特性を理解した上で、

一緒に活動する他者に対して、

適切な形で協働体制を組めるよう自分からアピールし、

協働体制を自らマネジメントできるようになれば、


発達障害を抱えていようが、いまいが、

人として自立して社会の人々と協働して生きていける…


それが、みもざが思い描いている1つのゴールであり、

このブログを通じて、いいと思ったことを発信したり、

情報交換しながら、達成していきたいテーマです。

(おっと、やけに大きく出たね…汗、←メタ認知です)


多分、みもざが、今、片つけられない母親であるのも、

物事に優先順位をつけるのが苦手だったり、

本質的に大切なものと、そうでないものの区別が

つきにくかったり、


多分、セルフモニタリング機能や実行機能がヨワイから

なんだろうな…と思ったりしています。


だから、みもざ自身の死活問題に関わる事柄でもあり、

とっても、関心のある領域ではあるんですが、


とっても、とっても、関心のある領域ではあるんですが…


どういう瞬間に、セルフモニタリング機能が働くのか、

どうやったら、このセルフモニタリング機能や実行機能が

育つのか?…という問いは、

みもざにとって、大変難しい問いではあります。


ご存知の方は、ぜひ、情報をください。

よろしくお願いいたします。


只、現時点で、実感しているのは、

マイナス感情に圧倒されることなく、

心静かに自分が何を感じ、どうしたいと思っているのか、

ゆっくりじっくりなぞることが出来た時


出来れば、身体感覚まで降りる余裕を取り戻した時


案外、じっくり聞いて受け止めてくれる人に話している

時だったり、するかもしれませんが…

そういう時に…


今までの出来事や経験が、今感じている感覚を通して

新しい意味を持った繋がりとして感じられる…

そういう瞬間って、ありますよね?


セルフモニタリング機能は、もしかしたら、

そういう体験の中で、育まれるのではないでしょうか???


言うなれば、プチ自己変容体験の時なんかに、

セルフモニタリングが働いているなぁ…と思ったりします。


正直、その時に、セルフモニタリング機能が

本当に育っているのかどうかは分からないけれど、

そういう瞬間を多く持てれば、セルフモニタリングは

得意になるかもしれないな…とは思います。


皆さまは、どのように思われますか?


そう考えると、地道に出来そうなことは、

少し、出て参ります。


お子さまが、毎日、心穏やかに過ごせる家庭環境を

作り上げ、持続的に提供していくこと…???


そんなことは、分かっているけど、

実践し続けるのは、それなりに難しかったりしますよね。


もう一つは、たまたま、お子さまが、穏やかな気分で、

自分を振り返りたくなった時に、支援すること…

ですかねぇ(邪魔しない程度で、いいかもしれませんが)。


それが、今日のお題の「記録を残そう」です。


お子さまの工作の作品の保存は、どうされていますか?

(写真を撮り、存分に楽しみ、汚くなってきたら廃棄…

が、多いパターンかもしれないですね)


いい案があったら、お知らせください。


昨日のことです。

子どもが、一冊自由帳を描き上げ、

新しい自由帳をおろす時に、

歴代の自由帳を見たいと言い出しました。


自由帳は、保存し易いので、取ってありました。


「雑さで、順番が分かる」と言いつつ振り返り、

「見ると、描いていた時のことを、よく思い出すなぁ…」と

言っていました。


うちの子は、出来事を巻物のように始めから順番に

思い出さないと、思い出せないと言うことがあります。


先生の言ったことをやろうとしていて、

同時に何か思い出さないといけないことがあれば

巻物を広げ…、そこにクラスメートから何か言われたり、

聞かれたりすると、もう、それを受け止めておくお皿が無くて


パーンと飛び散って、全ての情報が消えてしまったり、

仕方がないから、巻物を捨ててもいい箱に一旦放り込んで

対応し…、後から箱の蓋を開けてみたら、やっぱ、既に

巻物は消えていた…とか


そんな喩え話で、話してくれることが、時々あります。

(所謂、ワーキングメモリは、処理する情報量に比べ、

不足しているのでしょうね)


それは、それで、立派なメタ認知で、

それなりのセルフモニタリング能力は育っているものと

思われますが…


兎に角、記憶へのアクセスが、定型発達の人々と比べて

スムーズではなく、大変なのです。


それと、セルフモニタリングの障害がどれ位関係しているか、

それは、分かりませんが、自在に自分の通った過程を

振り返ることは出来ないのかもしれません。


そういう時に、うちの子は視覚優位の認知構造であることが

関係しているのかもしれませんが、

何か、目で見て思い出せるようなものがあると、

振り返り易いかもしれません。


学年が上がった時に、

昨年の入学当初の算数のプリントの塗り絵を見て、

「うちって、メッチャあほやん」と言ったことがありました。


塗り方が、今の自分や、今見る新一年生一般と比べて、

幼いな…と感じたようでした。


確かに、そういう部分はありました。


幼児期の塗り絵は、何の絵かは分かっていながら、

遣いたい色一色で、はみ出すも何も、線で囲まれた領域に

色を乗せようという意識もなく、只、上から色を塗りたくって

いまいたし…(本人は、いたって満足そうでした)


その物に相応しい色で、はみ出さず塗らせようと意図した

教材すら、見かけたことがございます…

(ある程度、発達障害を抱えたお子さまに共通の振る舞い

なんでしょうかねぇ…)


その時に、幼児期の塗り絵なんかも見せてあげたら、

それはそれで、「おおー、昔は、こんなだったのかぁぁぁぁ」

と、本人なりに、感動した所があったみたいです。


かつての自分を否定する必要はないと思いますが、

当時、母親のみもざが、何を心配しつつ関わっていたか、

本人なりに理解が進んだような気がします。


当時の幼児の視点を超えた、全体状況の認知が

少し進んだかな…と思える瞬間でした。


そんなこんなで、

お子さまの成長の軌跡を記録として残しておけば、

メタ認知を育める局面もあるかもしれませんよ…

というお話でした。


最後まで、お付き合いくださいまして、

ありがとうございました。