オーダーメイドの支援チームを作る③~診断名を共有するメリット① | 発達障害と診断されても大丈夫です!!

おはようございます。




今日は、診断名を共有して、


オーダーメイドの支援チームを自分と子どもの周りに作る


メリットについて、お話いたします。




まずは、学校です。


学校の先生方のお仕事も対人援助職なので、


個人情報の保護には細心の注意を払っていると、


信じていいと思います。




必要に応じて、組織内部での情報共有は


なされていると思いますが、その際も、情報提供者に


共有して良いか確認がある場合が一般的だと思います。




まして、組織外の他の一般の児童や保護者に


情報が漏れることは、あってはならいないことの


リストに入っていると考えられます。




なので、診断名の共有=ある程度の支援方法の共有


であるとすれば、お子さまの特性を学校にご理解頂き、


ある程度の配慮指導を頂くには、診断名は強力な


合言葉(もしくは、事態打開の鍵)になり得ると思います。




親が診断名を言わなくても(或いは診断を受けていなくても)、


問題が顕著な場合は、お子さまの背景にあるかもしれない


発達障害の診断名に当るものを想定し、それに有効な


支援を試みていたりします。




特別支援教育は、


特に発達障害を持たない一般の人にとっても


分かりよいことを基本としているので、




発達障害があろうとなかろうと、対象が一人であろうと、


その周辺の集団への一斉指導であろうと、


メリットがあると考えることも可能だから…


というのも、あると思います。




それで、パターン①として、外から見える問題


(大抵、ぱっと見分かる、黄道上の問題です)が顕著な場合、


それで、保護者からは診断名を告げられていない場合の


学校の対応について、まずは、考えてみましょう。




学校側は、お子さまの状態を見ながら、


背景の問題を見立てながら、有効な対応を探りながら、


保護者と情報を共有する場合には、


保護者がお子さまの状態をどう捉えているのか




問題と捉えているのか、どうなのか、


慎重に探ることに神経を使うと考えます。




医療機関ではないので、


医学的診断については言ってはならない立場ですし、


そういったものを想定していると保護者に知られることが、


保護者によっては逆鱗に触れてしまうおそれまで想定し、




お子さまの行動上の特性に絞って情報を共有しつつ、


ご家庭での様子を聞いて、情報共有をしようとするのでは


ないでしょうか。




それでも、有効な支援関係は、


築いていくことが出来ると思います。


ただ、それに、余分な(?余分ではなく必要かもしれませんが)


労力がかかり、時間も掛かるということです。




小学校の1年生の4月・5月の、新しい環境に入ったところでの


つまずきを想定しておくならば、情報共有と支援関係作りは


早くに完了しておいた方がいいだろう…と、みもざは思います。




パターン②として、行動上は真面目で大人しく、


一見して集団を乱すような問題行動はない故に、


かなり気をつけて見てやらなくては、


本人が困っていることに周囲が気付かないような場合…




これについても、考えてみましょう。


うちの場合、こちらに当りますが、みもざが考えたのは、




医学的診断名もないところで、


保護者が子どもへの心配を学校に話しに行った場合、


相当神経質な母親の過剰な心配と受け取られるだろう…


ということです。




保育園では、確定診断を頂くまでは、


一時、そう見られていたこともあったので、


みもざとしては、これは避けたい展開でした。




なので、診断名を告げずに話しに行く選択肢はなかったし、


言わなければ、結局何をして貰いたいのか、


なかなかご理解頂けなかったのではないかと思います。




情報の共有や相談は、保護者が一方的にこうして欲しい…


と要望を言うものではなく、子どもの状態を理解・共有し、


どのような対応が可能か、有効か、


相互にアイデアを出し合っていくものだと感じています。




事前に相談に行くことによって、


それぞれの学校の雰囲気や対応がある程度分かるので、


それに合わせた事前準備を子どもと進めやすい…という


こともあると思います。




うちの子の場合、入学した1年生の四月、


ゴールデンウィーク直前に、休日をはさんで2日続けて


足を擦り剥いてきたことがありました。




本人から聞き出すに、一緒に登校している級友に押された…


というのですが…(子どもは嘘はついていなくても、事実は


違う場合が、往々にして、あると思います)、




本人の記憶の特性からして、本人の話だけからでは、


実際何が起きたか把握が困難な場合が多く、


つまり、事実確認が相当難しく、一保護者の立場では、


対応が困難な事例だったと振り返ります。




みもざがしたことは、その情報を連絡帳に書いて、


見守っていただければ幸いです…と


情報共有をしただけです。




後は、全て学校のご判断で頂いたご支援です。




この時の担任の先生の対応に非常に感謝していますが、


この時に、学校では自分の感じていることを話して良いこと、


求めれば支援が提供されること、決して級友に嫌われていた


訳ではなかったことを確認できたのは、




本人にとって、本当に良かったと思います。


困ったことは、先生と皆で、より良い形で解決できる…


小学校最初の問題解決が成功体験に出来たことは、


とても大事ですし…




そこは、入学前から診断名を共有して作っていた


支援体制でなければ、出来なかっただろう…と


みもざは感じています。




ありありと臨場感を持って引き出してやらないことには、


記憶そのものが出てこない特性のある子どもですから、


特性が分かって居なければ、「本人の思い違い」という話に


なってしまったかもしれません。




この時程大掛かりな対応が必要な事態は、


その後、(まだ、)起きていませんが、この1回目の対応で、


本人も力をつけて、自分で対応することが出来るように


なっている部分もあると思います。




もし、この時に、成功体験ではなく、


適切な対応がなされなかったら・・・




何か嫌われている気がして悲しいけれど、一緒に居たいから、


我慢して合わせよう…という体験になっていたら




本人の中では、


小学校は、自分を押さえ合わせる辛い場所…


自分の話は、他の人には理解されない価値のないもの…


という枠組みで捉えられてしまっていたでしょう。




この時の担任の先生のご対応は、


専門知識と実践経験に裏付けられたグループ指導だったと


思われます(一時間授業時間を頂いています)。




学内での先生の立場を想像するに、


それだけの対応が必要かどうかは担任の先生の、


裁量の範囲と思われますが、


学年や管理職の理解を得るには、




やはり、学内での診断名の共有が


担任の先生を後押しをしてくれていると想像します。




この時期に、この細やかなご指導が可能だったのは、


診断名を共有した支援体制が出来ていたからだと


みもざには思えるのです。




最後まで読んでくださって、ありがとうございました。